桑原史成写真展「不知火海」
東京の銀座にあるギャラリー「ニコンサロン」で、写真家・桑原史成さんの写真展「不知火海」が行われています。
桑原氏は50年にわたり、水俣、水俣病の患者さん達を記録してきました。
不知火海とは、工場廃水が流された海。
この沿岸には、かつて約40万人の人が暮らしていたものの、水俣病事件で多くの住民が犠牲になりました。
作品は、近年撮影した写真が全体の3割、残りが過去50年間の写真、モノクロ写真約50点が展示されています。
先日会場で桑原氏の講演がありました。
非常に興味深かったのは、まず、水俣を取材するようになったきっかけです。
大学を卒業した桑原氏は、生まれ故郷の島根県に里帰りするのですが、その電車に乗り込む際、友人が週刊朝日を買ってくれたました。
その中の記事に、「水俣を見よ」と題された水俣の公害のルポが載っていたのです。
これこそ自分のテーマ、と思った桑原氏は、東京に戻ると、すぐさま朝日新聞社へ行きます。
「この記事を書いた人に会いたい」と言ったそうです。
そして、患者さんが入院している病院に行き、取材をお願いするとき。
院長に院内の写真を撮らせてくれと言うと、「写真なんか撮って何ができる?」と院長。
桑原氏は正直に「私はこれを撮って写真家になりたい」。
「公害を告発する」などの建前論を言わなかったのです。
院長はすぐさま「よかばい(良いですよ)」。
後で院長とお酒を飲んでいたとき、「あのとき桑原さんは正直だった。もし建前を言ったら、okしていなかった」と院長はおっしゃったそうです。
そして、一軒一軒患者さんの家におじゃまして写真を撮らせてもらうわけですが、一度も取材拒否に合ったことがないといいます。
撮る際は、あくまで控えめに。
さっと撮って止めたりするそう。
「人様の写真を撮るのだから、常に頭を下げて感謝の意を表す」と強調されていました。
桑原氏は最近の患者さんの姿をカメラにおさめているものの、この写真展ではあえて発表していない。
「患者達も年をとる。そんな姿を発表するのはしのびないから」
日本を代表する写真家の人間的なやさしさとモノクロの美しさが圧倒的な写真展です。