「人は弱い」という基本思想と弱者へのいたわり*<イスラムはどんな宗教?>
「人は弱もの」。これがイスラムの基本思想・人間観です。これを知ることでイスラムの教えや戒律が理解しやすくなります。
そしてその弱く小さな存在である人間が、偉大なる神に身を委ねて生きる。これがイスラムの根本思想です。
「人は弱い」が人間観の基本
偉大で全知全能の神に比べ、人間の力はあまりにも小さい。愚かで間違いを起こす存在。だから神は人間に完璧さを求めません。戒律を守れなくとも、たいていのことは許してくれます。
『アッラーはあなたがたの(負担)を軽くするようん望まれる。人間は(生まれつき)弱いものに創られている。』(4:28)
弱いから、謙虚であれ
一方で、弱いのだから謙虚であれと諭します。「お前には山を動かせるほどの力があるわけではない」と。「傲慢になるな」と神はコーラン中で繰り返します。
『地上をあまりいい気になって闊歩するでない。別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。』(17:39)
『慈悲深き御方の下僕たちは、謙虚に地上を歩く者。また無知の徒(多神教徒)が話しかけても「平安あれ」と(挨拶して)言う者である。』(25:63)
人間が知れることにも限界があります。
『人々よ、あなたがたの授かった知識は微小にすぎない』(17:85)
未来も全て自分の手でコントロールできるわけではない。だから未来のことを話す時は、必ず「神が望むなら(インシャー・アッラー)」と付け加えよと教えます。
『何事でも、「私は明日それをするのです」と断言してはならない』(18:23)
ムスリムと「明日会いましょう」などと約束すると、必ず「インシャー・アッラー」と返ってきます。異教徒にはとても心許ない気がします。しかし彼らは「自分で全てを支配できるなんて、大それている」と思うからです。
人間の力の及ばないものが世の中には存在する。人智を超えた存在(イスラムの場合は神)に対して謙虚になれということです。
イスラムの弱者救済
「弱い人には優しくせよ」がイスラムの教えであり、貧しい人、病人、高齢者など「弱者」を助けることが奨励されています。
『アッラーに仕えなさい。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道連れの仲間や旅行者、およびあなたがたの右手が所有する者に親切であれ(4:36)
弱者であると貧者、孤児、病人、老人、旅人、女性などです。
貧者
貧者への施し(喜捨)は、コーランに定められた義務です。
『アッラーの道に専心し、(商売の目的で)大地を巡ることができない貧しい人たちのため(に施しなさい)』(2:73)
喜捨には義務と任意があります。義務の喜捨は「ザカート」といい、1年間の収入のうち決まった割合を払うもの。それが諸機関を通じて貧者に分配されます。もちろん家族が食べていくのがやっとな人に、この義務はありません。任意の喜捨は「サダカ」といいます。(*:ザカートとサダカ イスラム教の喜捨と助け合い精神)
病人
病人は信者の義務であるラマダン月の断食を免除されています。
『病気や旅路にある人は、別の日に(できなかった)日数を(斎戒)することができます。
アッラーはあなた方に容易をのぞみ、困難を望みません。』(2:185)
孤児
この場合の孤児は、片親がいない子どもも含みます。孤児救済の教えは、コーランのいたるところに書かれています。
『孤児を虐げてはならない』(93:9〜11)
『孤児と付き合う時には自分の兄弟として付き合うように』(2:220)
これは預言者ムハンマドが孤児だったことも関係していると言われます。
老人
高齢者を敬うことも、イスラムが大事にしている価値観の一つです。
『親孝行しなさし。もしかれら(両親)の一方もしくは両方が、あなたの元にいながら高齢に達しても、彼らに(辛抱をきらして)舌打ちをせず、言葉を荒立てず、敬意を払って話しなさい』(17:23)
「親にやさしく」であって「老人(一般に)にやさしく」ではありませんが、ムスリムたちは「老人は他人の親、自分の親と「親」であることには変わりがない。だからやさしくするのだ」と言います。
地下鉄で老人が乗ってきたら、座っている若者はさっと席をゆずります。
年老いた両親を老人ホームにあずけるという発想がないため、老人ホームも非常に限られています。
旅人
イスラムでは旅人も弱き者と考えられています。その土地のことを知らない「弱者」だからです。旅人はラマダン月の断食も免除されます。
『両親にはやさしくしてやれよ。それから近い親戚や孤児や貧民にも、また縁つづきのものや血縁の遠い被保護者、(僅かな期間でも一緒に暮らした友)、道の子(旅人)、自分の右手の所有にかかるもの(奴隷たち)にも。』(4:36)
イスラムで旅といえば、代表的なのは「メッカ巡礼」です。イスラムが興った時代、旅は非常に困難なものでした。車も飛行機もない。何ヶ月も、時には1年以上かけてメッカにたどりつく。
コーランにも「彼らは徒歩で、あるいはやせたラクダに乗ってやってくる」と書かれています。
ラクダやロバなどで旅ができたのは富裕層だけ。そのために旅人を保護する必要があったのでしょう。
女性
イスラムでは女性は「守るべき存在」とされています。たとえば結婚後は夫が家計を担う義務があります。妻が収入が上でも、です。(*イスラムの夫婦の役割分担*「家計は夫の負担」は女性差別?)
『アッラーはもともと男と(女)の間には優劣をおおつけになったのだし、また(生活に必要な)金は男がだすのだから、この点で男のほうが女の上に立つべきもの」(4:34)
「男が上」とありますが、これは肉体的な優劣のことです。男性の方が体力がある。だから「男が稼げ」というわけです。
男女は肉体的に違います。女性は生理がある、出産もする。働くのが辛い時もあります。だから男性が生活費は責任持てというわけです。
イスラムは女性差別というイメージがありますが、必ずしもそうではありません。(*:【まとめ】イスラムが女性差別でない10の理由)
弱いからルールを設ける
弱い存在である人間は誘惑に負けやすい。節度と社会秩序を保つため、イスラムでは一程のルールを定めています。
たとえば男女の関係に関して。性的誘惑に対して男性は特に弱いから、女性は髪や肌を隠しなさいと教える。(*「女性は宝石」*イスラムの女性が髪や肌を隠す本当の理由)
男女が適度な距離を保つよう、社会は男女隔離が基本です。痴漢が出てから騒ぐより、あらかじめ防御策を取る。
お酒も、酔ってよからぬことをする人も出るから、あらかじめ禁止とする。酒を飲ませて後で酔っ払い運転をとりしまるより、先に禁酒にしておいたほうが、社会秩序が保たれ、個人も平安であると考えるからです。
結婚の時は、前もって離婚時のお金(マフル)を決めておく。相手が永遠に愛せるほど人間は強くない。心が移ろうことを最初から勘定に入れておくのです。
弱さから生まれる価値
イスラムでは「弱さ」ことを決してマイナスにとらえていません。人間の特性の1つにすぎない。
弱さは美点でもあります。弱いからこそお互いいたわり合い、助け合うのが人間関係の基本になります。貧しい人には手を差し伸べるのが信者の義務とされる。
弱い人間は不完全な存在だから、男女は結婚を通して結ばれ、互いを補完し合う。これがイスラムの結婚観です。
人間に限界があることを知れば、自分にも他人にもやさしくすることができる。
そもそも人間は最初から自立など不可能な存在です。食べ物すら自分で作れない。大地と水と太陽の光がなければ作物も育たない。食べ物がなければたちまち死んでしまう。
それを知れば、自分の身の回りのもの全てに感謝することができる。
自分は不完全で弱く存在だ。それを認めることは、敗北でも何でもないのです。
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