夢や希望はより良い人生のために必要?
「夢や希望に向かけてがんばりなさい」と小さい頃からよく言われてきました。
夢や希望。それらは幸せな人生を歩むために必要でしょうか?
より良い人生のために夢や希望はあった方が良いのでしょうか?
夢も希望のないのが幸せ
私は必要ないと思います。夢も希望もない、そんな状態がいちばん幸せです。
なぜなら「今の自分に十分満足している」から。「将来こうなりたい」「〜が欲しい」と思う必要がありません。
夢や希望があるのは「もっと欲しいものがある。でも今不足中だ」ということです。今の自分に満足していない。自分を否定しています。
「今は1LDKの狭いマンション暮らしだけど、いつかは3LDKの大きな家に住みたい」(←1lLDKのマンション暮らしの自分を否定)
「今は一人暮らしだけど、いつかは素敵な彼と結婚して幸せな家庭を築きたい」(←一人の自分を否定している)
「夢」・「希望」は一見聞き心地が良い言葉ですが、それは「欲望」です。そして夢や希望が大きいほど、現実とのギャップも大きくなり、焦りや不満が生まれる。
私たちは「幸せ」について、こう教わってきました。「今、足りないものをあげて、それを手にいれるために努力し、手に入れた先に幸せがある」と。
でも本当はそうではない。自分はすでにたくさんのものに恵まれている。それに気付けないと幸せや豊かさにはつながりません。たとえどんなに多くのものを手に入れても。欲望はきりがないからです。
代わりに必要なのは「感謝」
夢や希望の代わりに必要なのは「感謝」です。
「私は今、1LDKのマンション暮らし。でもおかげさまで毎日美味しいご飯が食べられて、ぐっすり眠れて、しかも部屋を掃除するのもラク」。
「一人暮らしだから自分の時間が自由に使えて、可愛い猫が飼えてよかった」
すでに与えられているものに気づき、それに感謝すること。それによって夢や希望が減ってきます。あれが欲しい、これがほしいという気持ちが。それが本当の幸せではないでしょうか。
イスラムの夢と希望
イスラム教徒にも夢や希望があります。でもそれに縛られません。なぜなら「未来は神の領域」だから。
イスラム教徒にとって、未来のことはすべて神が決めることです。夢はあっても実現するかどうかは神次第。努力はしますが、結果は神にまかせる。「運を天にまかせる」のと同じことです。
だからゆったり構えていられます。(なんとしてもこの夢を叶えなければ)(努力すれば手に入れられる)と必死にはなりません。
そしてイスラム教の教えの中心は感謝です。1日5回の礼拝は神様への感謝(お願いごとをしているのではありません)。
自分を生かしてくれていること、食べられること、寝られること、それらは全て神の思し召しと考えるからです。
夢は人生のデザート
「でも夢が希望があった方が張り合いが生まれるじゃない?」
もちろんあってもいいと思います。でも固執しない。それらはあくまで人生のデザート。メインは「今すでに満たされている自分」です。
3LDKの大きな家に住めたらいいな~でも今でも十分幸せ。
素敵な彼と結婚できたらいいな~でも今可愛い猫と暮らしているから、このままでも全然構わない。
そんなふうに思えばいいのでは?
幸せや豊かさは、すでに今満たされていることに気づき、感謝して初めて感じることができるもの。
どんな状況でも、気付きさえすれば、そこがパラダイスです。