宗教とは?*人間らしい生き方を教えるもの
この世にはなぜ宗教があるのでしょう?宗教を信じる意味・意義とは?
1つは「人間らしい生き方を教える」ということです。
イスラムは「弱者救済」を説く
イスラムには「貧者を助けよ」、「施しをせよ」という教えがあります。
これは礼拝やラマダン月の断食と同じくらい重要な義務で、コーランではしばしば礼拝と喜捨を並べて命じています。
喜捨は具体的には、1年間手元にあったお金の何%かを主に貧しい人に与えるものです。裕福な人は貧しい人を助ける義務があるのです。(*ザカートとサダカ*イスラムの喜捨と貧者救済)
ただしこの義務は余裕がある人だけです。どんなに収入があっても、病人をかかえていたり、家のローンがあって余裕がなかったりした場合は別です。
代わりに困った人を助けるとか、やさしい言葉をかける、病人を見舞う、などでも良いとされています。モスクへの道に落ちているゴミを拾うとかでもいい。
つまりイスラムという宗教とは「人間らしい生き方」を教えるものです。
人に与えることができてはじめて、成熟した大人と言える、人間らしい生き方と言えるからです。
貯め込むばかりでは子供と一緒です。赤ちゃんはおっぱいをもらうだけ。子供は親に食べさせてもらうだけです。人に与えられるようになって初めて「成熟した大人」と言えます。
宗教を持つから動物と区別される
「人間は宗教を持つから、動物と区別される」と曽野綾子さんは著書で書かれていました。
稼ぐだけでは「エコノミック・アニマル」です。
「働くのが美徳」と日本ではされてきましたが、稼ぐことしかしないのは、人間らしさとは遠い。
経済効率優先では、マシーンと一緒です。他人への思いやりがあってこそ、人間。
とはいっても、私たちはどうしても人に与えると「自分の分が減った、損をした」と思いがちです。
そうではなく、与えることこそ喜びがある、天国へいけますと教えるのが宗教です。
人間誰しも与えるのが苦手です。自分の取り分が減るのが怖い。これはムスリムも同じです。そのためコーランでは、しつこく喜捨の必要性を説く。そうすれば天国へ行けるよと。
だからイスラム圏の方々はよく施しをします。町中の物乞いがいれば、よくお金を渡す。自分が天国へ行けるチャンスが増えるからです。
だから物乞いの方がお金持ちだという噂もあります。外車に乗っているとか豪邸に住んでいるとか。
しかし、そういう人を非難したりはしません。物乞いがいてくれないと自分が天国へ行く手段が1つ減ってしまいます。天国へ行くためには、そういう人がいてくれないと困る。
貧乏人にもちゃんと居場所がある。それがイスラム社会です。
動物にはない「恥じらい」の心
先ほど「宗教は人間らしい生き方を教えるものだ」と申しましたが、その1つが「恥じらい」です。
イスラムでは特に慎み・恥の心を大切にします。だから男女とも肌を見せない服装をするのが普通。
イスラムというと、女性の服装ばかり問題にされますが、男性も肌の露出を控えます。半ズボンなどでは街を歩きません。
(*トーブ、カンドゥーラ、ディスターシャ。アラブ男性の民族衣装とイスラム教男性の服装ルール)
イスラム圏ではハマム(公衆浴場)は男女別ですが、男同士、女同士でも大事な部分は隠して入ります。親子同士もです。
「恥じらい」の心を持つのは人間だけです。動物は大事な部分を露出しても恥ずかしいという意識がない。だから動物は服を着ません。
でも人間はそうではない。その証拠に水着で街中を歩いたりはしません。
宗教は「人として最低限守るべきこと」を教える
イスラムの教えには「親孝行せよ」「人を殺すな」「嘘をつくな」など日本の「道徳」に似たものも多く含まれます。
コーランにおける「10の命令(十戒)」と言われるものがあります(第6章151~153節)。「人として大切なこと」「人として最低限守るべきこと」を説いたものです。
1 アッラーの他に一切の神を認めないこと
2 両親にやさしくすること
3 いくら貧乏でも自分の子供を殺さないこと
4 性的な不品行なことに近づかないこと(婚外交渉など)
5 人を殺さないこと
6 孤児の財産を守ること
7 商売において計量をごまかさないこと
8 公正な発言をすること
9 神との契約を履行すること
10 イスラームとの教えに従うこと
つまり宗教とは「人としての道」を教えるものと言える。
海外では宗教を持つ人の方が多数派です。だからといって、必ずしも宗教を持つ必要はありません。しかし「宗教がない」と公言するのは誇れたことではないと知っておいた方が良い。
日本で宗教というと、何か怪しいもの、避けて通るべきものとされますが、海外では全く逆です。
宗教がない人は尊敬されないし、人として見られない。
せめて、「宗教とは人間らしい生き方を教えるもの」という理解だけは、持っていて欲しいものです。