「シルクロード路上の900日」中国からローマまで900日かけて歩いた旅人が見た「本当のイラン」
中国の西安からイタリアのローマまで900日かけて歩いた壮大な旅の記録です。
イランの家を泊まり歩く
イスラムの国は男性が女性の写真を撮ることができないとか、男性が女性の家にいる家庭に入りこむことができないと思われています。
けれども本をを読むと、決してそんなことはないというのがよくわかる。
イランが特別かもしれませんが。
本の中には、こんなシーンも出てくる。
彼が道を歩いていると、誰かが後ろからバイクで追いかけてくる。そして彼にお金を手渡す。
著者はそれに対して、「自分は旅人だ。あなたが働いて得たお金は受け取れない」と断るが、男は無理やり大村さんの手にお金をねじこもうとする。
著者はしかたなく受け取る。
そのあたりの記述、思わず目頭が熱くなってしまう。
それを見て、彼は満足げに頷きながらこう言った。
「ところでお前、トルクメン人かい? それともアフガン人かい?」
これまでの道中、様々な形での親切に加え、こうした施しを受けることも幾度かあった。
だがそれは、中国から歩いて旅してきたと話したあとで、「そうかい、じゃあこれでおいしいものでも食って力をつけな」と手渡されるのが常だった。
自分について何一つ語っていないのに、こんなことをされたのは初めてだ。
それでも今回、少なくとも私の姿、顔立ちから日本人と察し、親日感情から厚意を差し向けてくれたものと私は思い込んでいた。
だから、彼の最後の言葉には胸を打たれた。」
同じような経験は私にもあります。ある夜、ホテルを探して歩いていたら、通りがかりの夫婦に声をかけられた。
「こんな時間に何している? うちに来ないか? ホテルに泊まるかどうかは、一晩寝て明日朝考えたら良い」
もちろん、彼らは私が何人かとか、怪しいものじゃないかどうかとか、そんなことはいっさいわからないわけです。
なのに、自分の家に招く。
伝統か気質か?
この人を無条件に信用するイラン人の気質はなんなのか?
私はイラン人自身に聞いたことがある。「どうして見知らぬ旅人を家に泊めたりするの?」と。
その答えは「イランの伝統だから」とか、「イランには外国人観光客が少ないから、外国人を家に呼んで間近で言動を見てみたい」とか、ちょっぴりガッカリするようなもの。
いまいち腑に落ちないのです。
イラン人の気質がどこから来るのか? これからの私の追求課題です。
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