『フィリピン残留日本人』*フィリピン各地の残留2世を訪ね歩いて
ブラジルやハワイなどに日系移民が多数いることは知られているが、フィリピンにも戦前からたくさんの日本人移民がいたことは、あまり知られていないでしょう。少なくとも私は知りませんでした。「フィリピン残留日本人」(船尾修)を手にとるまでは。
日本国籍を取得すべき立場にありながら、日本人である父親が判明しないために、多くの人が国籍を回復できていない。残留2世の数は、現在確認されているだけで350人。そのうち国籍を回復できたのは現在1058人だけだとのこと。
戦後フィリピンでは反日感情は凄まじく、2世たちは日本人の血を引くことを隠し続けて生きてきた。日本名を捨て、母方のフィリピン名を名乗り、日本語も捨てた。作者の船尾修さんは、計7回フィリピンにわたり、フィリピン各地の残留2世60人を訪ね歩き、話を聞き、肖像を写真に収めた。九州の国東半島で米を作っている船尾さんは、アジアの稲作を撮影しようとフィリピン・ルソン島北部の棚田を訪れた。そこで残留2世のことを知ったのです。
フィリピンの日本人社会で、戦争の前後にどのようなことが起きたのか。日本ではほとんど知られていません。戦前生まれの2世が高齢化する中、彼らの証言を今記録しておかなければ、戦争でどんな影響を被ったのかが永遠にわからなくなってしまう。そう思い立っての取材でした。
幸せとは何か?
日本国籍が回復された2世の子供達、3世や4世は、日本に行って働くことが簡単になります。しかしそれが本当に幸せなのか?と 船尾さんは問いかけます。
「フィリピンは日本と比べたら経済的にはたしかに貧しい。しかし、それを補ってあまりあるものがある。家族であり、地域のつながりであり、笑顔である。ひとりひとりの収入が少なくても大家族のなかで互いを支えあいながら暮らしている。お金がなくてもなんとかなる安心感を生み出している。お金ではないセーフティネットがしっかり機能しているのだ。そこから笑顔と余裕が生まれる。日本人は本当に豊かなのだろうかと、フィリピンの人達の暮らしぶりをみるにつけ私はいつもそういう疑問を抱いた。」
コメントを残す