世界で一番幸せな国フィジーの、豊かで幸せな人生を送る秘訣。
2014年の「世界幸福度調査」で世界一になったというフィジー 。そのフィジーに移住したという日本人男性が書いた本があります。「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」
著者の永崎さんは、世界100カ国をめぐって、日本より住んでみたいと思った「唯一の国」がフィジーだったそうです。
本ではフィジー人とのハートフルで面白おかしいエピソードを紹介しながら、その「幸せな生き方」・「人生を豊かにする習慣」を紹介。クスッと笑いながら、同時に自分の生き方も振り返ることができる良い本です。
自分にも他人にも甘い
フィジー人は自分に甘いので、他人の行動に期待していないし、失敗も責めません。警官の中にはパトカーを私用で使ったり、彼女を乗っけてドライブしたりもするそうです。
イスラム圏でも、こういうのはよくあります。タクシーに乗っていると、友人を見つけた運転手が途中で車をとめて、5分くらい長話をしていたり。バスの中で他人の足を踏んでしまったら、相手には「マーレーシュ(気にするな)」と言われます。他人の過ちにも甘いのです。
高速で友達になる
フィジーでは、初対面の相手に「独身なの?」「子供いるの?」と聞かれるのは当たり前。独身だと、「かわいそうやねえ。誰か紹介してやろうか?」となるそうです。
イスラム圏でも初対面の会話でいきなりプライベートに突入します。上のようなやり取りの後、子供がいないというと、「やることやってるのか?」と聞かれることも。初対面の相手に、です。
持つ者が与えるのが当たり前
何事も共有するのがフィジー人の当たり前。学校では先生が教頭にお金を借りに来るため、教頭の方が教師より金欠だったりするそうです。
一人で公園を散歩していると、ランチしている見ず知らずの人と目があっただけで、「どこから来たの?」「一緒に食べよう」と声をかけられる。イスラム圏もそうです。
イスラムでは「全ての物は神のもの」と考える。だから食べ物も分けあって食べるべきという考えもある。公園でランチしている家族づれと目が合えば、「一緒に食べましょう」と言われる。役所の窓口でサンドイッチを食べている女性と目が合えば「どうぞ」と言われる。タクシーに乗れば、タバコに火を着けようとしている運転手に「一本どう?」と勧められる。(『イスラム流幸せな生き方』)
日本では貯金して将来の不安を減らそうとしますが、フィジー人は共有の精神(「ケレケレ」と言うそうです)が行き渡っているから、頼る人がいる。貯金がなくても安心していられるそうです。
「失敗」は自分のせいではない
会社に遅刻したり、仕事でミスをしたりしても、それは「神様の思し召しであって、自分ではどうしようもないこと」と考えるのがフィジー人。
逆に仕事で成果を上げたとしても、同じように「神様の思し召しであって、自分が努力した結果ではない」と考え、神に感謝します。イスラム教徒も、失敗は神のせいにします。試験に落ちた、リストラにあった‥‥日本人なら「努力が足りなかった」と自分を責めますが、ムスリムは「神様が望んだこと」でおわりです。
健康なんて気にしない
フィジーでは糖尿病が社会問題化しているそうです。炭水化物の摂取率が高く、肥満に寛容な社会であるから。そこで国はテレビCMなどで糖尿病の怖さを国民に周知させようとしますが、全く効果なし。
フィジー人の口癖は「love food」。健康になるために苦しい運動をするなんて考えもしません。それで病気になっても、好きなものを食べてるんだから全く後悔ない。
フィジー人は言います。「健康になるために生きてるわけじゃないから」。
イスラム圏ではジョギングする人など見たことがないし、歩いて2、3分の距離でもバスに乗ります。油っぽい食事と砂糖がたっぷり入った紅茶が大好き。太ったら、ダイエットより薬に頼る。状況は全くいっしょです。常々不思議でした。どうしてもっと健康に気を配らないんだろう?
日本では健康本・ダイエット本がよく売れます。
私も一度体を壊したことがあり、そら以来の健康オタクです。日々の食事は玄米菜食を中心に、肉や魚をバランスよく。魚はなるべく天然のもの、などとこだわっています。
でも、ふとこんなことも思います。
行きすぎるとどうなのか?
食べる時、いちいち「カロリーは?」「これ食べたらビタミンがたくさんとれる」などと考えていたら、楽しくありません。
健康は大事ですが、気を使いすぎると逆に苦しくなり、不幸になってしまう。
健康は「生きる目的」ではないし、それはあくまでハッピーに日々を過ごすこと。
大事なのはバランスですね。
健康に気を配ること、毎日の暮らしを楽しむこと。
とにかくフィジーに行きたくなりました。
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