ロンボク島最大の祭り・マウリド・バヤン(Maulid Bayan)
「 スマトラ島にも行ったけど、ロンボク島の方がもっと古い文化や伝統が残っていた」と、ロンボク島で会ったオランダ人ツーリストが言っていました。
その伝統の最たるものが、島の北部にあるバヤン村で行われる「マウリド(預言者ムハンマドの生誕祭)」。
ロンボク島には、イスラム教の中で独自の宗派である「ワト・テルwetu tell」を信じる人がいて、バヤン地区は、このワト・テル発祥の地です。
そのワト・テルの方々が行う祭り「マウリド」に参加しました。まずワト・テルとはどんな宗教なのか?についてご説明します。
ワト・テル(wetu tell)とは
ワト・テルwetu tellとは、ロンボク島の人々が古来から信仰しているアニミズムに、ヒンズー教とイスラムが融合したものです。
インドネシアでワト・テル信者がいるのはロンボク島だけ。かつては島民のほとんどがワト・テル信者だったそうですが、今はバヤン周辺にしかいません。その数は約2万人。
マウリド・アダット(maulid adat)とは
マウリドとは「預言者ムハンマドの生誕祭」のことです。イスラム世界全体で行わますが、ロンボク島のワト・テルの方々のマウリドはとてもユニークです。
その日にちは各村・町で違います。祭りの時は特別な料理を作り、別の町に住む友人を招待しますが、全ての村が同じ日では友人たちを招待できないからです。
こうして島全土で1ヶ月間マウリドが祝われるのですが、最も盛大に行われるのがバヤンのマウリド(「マウリド・アダット」)です。
マウリドの会場:マスジッド・クノmasjid kuno
祭りが行われるのは、上の地図にあるバヤンのモスク「マスジド・クノ( Masjid Kuno)」や、その周辺です。
このモスクはロンボク島で最も古く、建てられたのは約300年前です。縦横9メートルくらい、竹と土でできています。 ふだんは中に入れず、祭りの時に特別な人だけが入れます。
バヤンのマウリドの時、その中心のモスクの周囲に「のぼり」が建てられます。これが、バリ島のヒンズー教の儀式の時に飾るものとそっくりなのです。ワト・テルにはヒンズー教の特色が色濃く感じられます。
バヤンのマウリドは2日間。その全体像を紹介します。
マウリドの流れ
1日目の午前中、女性による米搗きが複数のグループに分かれて行われます。
女性が着ているのは、祭りの時の特別な衣装です。ワト・テルといってもイスラム教徒ですから、この女性の服装には驚きました。
しかし自分も同じような格好をしてみると、これが現地の気候にしっくりきます。
頭にかぶっているのは「ジョンバヤン」。米をついたり洗ったりする人だけがかぶるものです。胸にまくサロンは、「クンバン」と呼ばれます。
祭り会場の周囲の村。
高床式の建物は「ブルガ(Berugak)」と呼ばれ、ふだんくつろいだり、結婚式や葬式などの儀式に使われたりします。
このブルガはロンボク島全体にありますが、北部のバヤン周辺は特に多いです。
1日目昼:お供物を運ぶ
バヤンや近隣の村から、人々が供え物を持ってやってきます。多いのはお米で、ほかにニワトリ、ココナツの実、果物、ヤギなど。各自が好きなものを持参します。
この供え物は、後で共同で料理されます。
人々は指導者に供え物をしたあと、お願い事をします。「いつも体調がすぐれないので、よくしてください」、「学校の成績がよくなりますように」‥‥。
指導者はそれを預かって神に祈るそうです。
ひたいに赤い印をつけてもらいます。幸運を呼ぶものだそうです。
1日目夜:スティックファイティング
夜11時くらいから、モスクの前でスティックファイティングが行われます。これは竹で作った盾と棒で戦うもの。
戦いは夜中まで行われるそうですが、途中で眠くなってしまい、12時くらいに退散しました。
2日目午前中: 米を洗う儀式
20数名の女性たちが近くの川で米を洗います。
前日に靴を履いて来て後悔した私は、サンダルで祭りに臨みました。が、またまた激しく後悔。川は谷底にあり、たどりつくまでに大きな岩がゴロゴロしている山道を下って行かなければなりません。サンダルを履いていては、とても不安定。
インドネシア人のカメラマン数人に「気をつけてね」と声をかけていただきながら、なんとか川までたどり着きました。
米を洗う女性たちはみんな素足です。
左のほうに小さくカメラマンたちが写っています。ほとんどはロンボク島の首都マタラム在住のカメラマン。中には毎年のように祭りに来ているという人もいました。
供え物として差し出されたヤギが、一堂に集められ、これから料理するところ。
こちらは子牛です。
その後、こうなりました。
女性たちはニワトリをさばきます。きれいに毛をむしりとります。
皮をむかれたヤギたち。
ヤギを焼きます。
2日目午後4時〜宗教指導者の入場
宗教的なリーダーである「プヌンバン」という人がモスクに入場してきます。写真の水色の傘を持った人です。(下の写真)
一堂はモスクに入って礼拝と食事をします。その間、一番偉いとされるプヌンバンは、傘を持ってずっと外で待機しています。
夜のとばりが降りる頃、精油を人々にふるまう儀式が始まります。
これが終わってしばらくすると、村民全員が集まっての夕食に。夜9時くらいです。
見学している外国人たちも、村民と一緒に食事をいただきました。
マウリドにおけるヒンズーの影響
お祭りではヒンズーの色彩が色濃く感じらました。
まず服装。男性も女性もイスラムでは肌を見せませんが、ここでは儀式に参加する男性は上半身裸、女性は肩を出しています。
動物を屠る時に塩をふりかけるそうです。こういうのもイスラムでは行いません。
赤い印をひたいにつけてもらうこと、冒頭に書いたモスクの周囲の飾りもヒンズー的な要素が感じられます。
祭りに参加する際の注意
祭りを見学する場合は、外国人であっても村の人と同じ伝統的な衣装を着る必要があります。
また供え物をする場所に入るには、靴も脱ぐ必要があります。
サンダルばきが便利です。あるいは、なくなってもよいような靴。
無くなることはありませんが、私は靴を脱いで後で戻ったら、靴が泥だらけになっていました涙。
コメントを残す