イランの国教 シーア派12イマーム派とは?
イランの国教は、シーア派の中の「12イマーム派」です。これはどういうものでしょう?
「12イマーム派」、その宗教行事「アーシュラー」、宗教施設「イマームザーデ」を、わかりやすく紹介します。
シーア派=「イマーム信仰」
イスラム教はスンニー派とシーア派に大別されます。2つが分かれたきっかけは預言者ムハンマドの後継者争いです。
スンニー派は「会議によって」後継者を決めると主張し、シーア派は「アリー(ムハンマドの娘婿)とその子孫が後継者」だと主張。
シーア派のアリー以降の代々の指導者を「イマーム」と言います。シーア派は神アッラーや預言者ムハンマド以上に「イマームへの信仰」をとても大切にします。その点、シーア派とはイマーム信仰とも言えます。
スンニー派の聖地(メッカ、メディナ、エルサレム)はすべて預言者ムハンマドに関係するものですが、シーア派の聖地はこれに「イマームの殉教地」が加わります。代表的なものはカルバラー(イラク)で、ここに第3代イマーム・フセインの聖廟があります。
12イマーム派とは?
シーア派のうち最大のものが「12イマーム派」です。12人のイマームを認める宗派です。(他に「イスマーイール派」があり、7代目イスマーイールをもってイマームは終わりとします)。
このようにシーア派の分派は「アリーの子孫のうち誰をイマームと認めるか?」で分かれたもので、それほどシーア派にとってイマームが重要なのです。
重要な「第3代イマーム・フセイン」
12イマーム派で最も重要なイマームが3代目フセイン(預言者ムハンマドの孫)です。
フセインがスンニー派のウマイヤ朝に反旗を翻したからです(場所はイラクのカルバラー)。
彼はその不義に対する戦いで悲劇的な殉教死を遂げました。
イラン最大の行事「アーシューラー」とは?
そのフセインの殉教を追悼する行事が「アーシューラー」。アーシューラーとは、イスラム暦のムハッラム月の10日(10はアラビア語で「アーシューラー」)のことで、この日にフセインが殉教しました。アーシューラーはシーア派最大の行事です。
アーシューラーではフセインの殉教劇を上演したり、フセインの苦痛をしのぶために黒服の男性たちが鎖で体を打ちながら町中を行進したりします。(この儀礼を「シーネザーニと言います)。
イマームザーデとは?
シーア派の宗教施設はモスクと並んでイマームザーデがあります。これはイマームの子孫とされる者を祀った聖廟です。イランではモスク以上にイマームザーデの方が重要です。村によってはモスクはなくてもイマームザーデはあり、両方あるする場合、後者の方が立派です。イラン全土には、モスクの数倍の数のイマームザーデが存在しています。
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