人生の苦しみを楽しみに変える唯一の方法
苦しみを苦しみでなくする、たった1つの方法とは、「気の持ちよう」だと言います。
「あれこれの出来事や境遇を苦しみや喜びと思い、そのことが錯覚なのだ。苦しいのは、それを苦しいと思っている自分であって、それらの事柄自体が苦しみであるのではない。「気の持ちよう」とは、そういうことだ。
あれこれの外的な事柄に動じることのない不動の自己を保つこと、これが、人生の苦しみを苦しみでなくする唯一の方法に違いない。」
(『考える日々』)
苦しいのはそれを「苦しい」と思う自分がいるから。客観的に「苦しいこと」があるのではない。だから気の持ちようを変えよ、それが苦しみをなくす唯一の方法だ、というのです。
ずっと以前、私が大学病院に検査入院していた時、同室の脳腫瘍をわずらった女性がよく言っていました。
「病気になったのは、神様のおかげ。ゆっくり休みなさいといっているんだわ」それと同じことかもしれません。
何が幸・不幸かは本当にはわからない
健康が良くて、病気が悪いことと思われていますが、本当にそうでしょうか?
夫が健康であるゆえに浮気し、家庭が崩壊するかもしれない。病気がちの方が、浮気しないで幸せな家庭をつくれるかもしれないとも言えます。
健康がいい、病気が悪いというのは「人間の物差し」にすぎない。本当の「良し悪し」は神だけがご存じというのがイスラムの教えです。
「自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分たちのためにわるいことも、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。」(「コーラン」2:215)
何が良いことか悪いことかは、私たちにはわからないのだから、ただ目の前の現実を神が与えてくれたことに感謝し、淡々と生きていけばいい。この句はそう教えています。
全ては自分の気の持ちよう
病気になっても「神が病気をくださった。しばらく休もう」とありがたく受け取る。仕事で失敗しても、「もっと大きなミスをする前に間違いに気づくことができた。これも神の計らいだ。ありがたい」と受け取ること。
世の中に幸・不幸や、成功か失敗かの事実があるのではない。それはすべて「自分の気のもちよう」である。
だから起きた事を「良い悪い」と勝手に判断せず、それに感謝し、淡々と生きていく。
これが「あれこれの外的な事柄に動じることのない不動の自己を保つ」ということでしょう。
「そんなの自分に都合よく現実を解釈しているだけだ」と思う方もいるかもしれません。そうです。世の中、すべて自分に都合よく考えていけばいいのです。客観的な現実なんて存在しないのですから。
苦しみを和らげるのも自分
では「気の持ちよう」ですべての苦しのみから解放されるのか?
突然大切な人が亡くなってしまったらどうするのか?
自分が不治の病に罹ってしまったら?
突然の事故で半身不随になってしまったら?
どうしようもなく、死にたくなってしまうかもしれない。
私がもしそういう状況になったら、どうなるだろうかと思います。
「気の持ちよう」だけでは、乗り越えられないかもしれない。でも気持ちを軽くすることはできるのではないか。
そして苦しみを和らげるのは、やはり自分の「気の持ちよう」しかないと思うのです。
どんな状況でも幸せになれる
何が幸福で何が不幸なのか、本当のところはわからないのだから、今ある状況が一番幸福だと思えばいいのです。
そうすれば、誰でも今からでも幸せになれる。
つまり、私たちはどんな状態でも、そのままで幸福になれるということなんです。