ザカートとサダカ*イスラムの喜捨と貧者救済
イスラムは貧者救済を奨励しており、コーランではしばしば貧者への施しが説かれています。その施し(喜捨)には、義務としての喜捨(ザカート)と、任意の喜捨(サダカ)があります。
ザカート<義務の喜捨>
義務の喜捨のこと。1年間自分の手元にあった財産のうち、決まった割合を喜捨します。
対象となるのは1年以上所有している金銭(貯蓄)、家畜、農作物、所有する物品などで、金銭なら1年の貯蓄の2.5%。家畜は0.8~2.5%(種類によって違う)など、細かく決められています。
月収など入っては出ていくものは含まれません。また生活必需品も対象外です。
ザカートは余裕のある人だけ
ザカートの義務があるのは、生活に「ゆとり」がある人だけです。家族を食べさせるのがやっとという人に、この義務はありません。
高収入であっても、家族が多かったり病人をかかえていたり、新しい事業を始めたりなどして支出が多く、金銭が手元に残らない人も対象外です。イスラムでは苦行や禁欲を強いないからです。
サダカ<任意の喜捨>
任意・自発的な施しのこと。金品の施しのほか、人を助けること、やさしい言葉をかけること、病人への見舞い、他人を助けるために時間や尽力を使うこともサダカに当たります。
ザカートをするだけの財産を持たない人でも、これらなら無理なく徳をつめます。
喜捨を受け取る相手
喜捨を受け取るのは、主に貧者や困窮者などです。
「施しは、貧者、困窮者、ザカート管理者、イスラムへの改宗者、身代金や負債の救済のため、アッラーの道のために努力する者、旅人のためである」。(9:60)
「あなたがたが施してよいのは両親、近親、孤児、貧者と旅路にある者である」。 (2:215)
ザカートの集め方
ザカートは基本的には政府が徴収しますが、個人や団体に納めることもあります。モスクや宗教省などの公的機関に自己申告で支払うことが多いです。
中東のバーザールでは喜捨を集めるところがあり、商人たちはその日の売り上げの一部を差し出します。
ザカートの本来の意味
ザカートの本来の意味は「浄め」です。施しをすることで、自分の罪が浄められるということです。
この根底にあるのは「この世のすべての物は神のもの」という考え方です。裕福な人は単に神から富を預かっているだけ。その中にはもともと貧しい人たちの権利が含まれている。それを喜捨によって返すという考え方です。この点が「寄付」と違います。
喜捨することで天国へ
喜捨をした人は善行をなしたことになり、天国へ一歩近づけることになります。実際コーランには「物乞いに施しをする人は天国へ入る」と何度も書かれています。
コーランでは喜捨を「神に対する貸付」と表現していてます。
「神に貸し付けすると、あとでご褒美がいただける」(来世で天国にいける)と書いてあります。(51:15~19、70:25.35、69:34)
つまり喜捨は、施す側ももらう側も、両方が幸せになれる行為なのです。
施す側としては天国へ入るためにやっているのだから、「いいことをしてやったんだ」のような過度の自負心を避けることもできます。
物乞いは天国へ導く存在
一方で喜捨を受ける側も、相手に「善行を与えるチャンス」を与えたということ。相手を「天国へ導く存在」であり、「感謝される側」です。引け目をそれほど感じなくてすみます。
物乞いがいなくなると、信者は施しを与える相手がいなくなり、天国に入る手段を1つ失うことになります。
物乞いは、金をもらっても相手に感謝する必要はない。その金は彼らを素通りしてアッラーのもとに届けられるからです。
実際、イスラム圏では物乞いは驚くほど堂々としています。エジプトでレストランで食事していると、少し小柄な男性(時には女性)がぶらりと入ってくることがあります。そして店主から食事を受け取って出ていく。その態度はあまりにも自然で、それと気づかないことがよくあります。
喜捨する際のマナー
喜捨は目立たないように行うのがマナーです。
「施しは見せびらかしてやっっても、やらないよりずっといいが、隠れてやるならもっと自分の身になる」「その功徳で、前に犯した悪事まですっかり帳消しになる」とコーランに繰り返し書かれています。
金品のサダカは匿名で行うことが望ましいとされます。
施しをしないのはよくないが、無闇に喜捨するのもダメ(17:29)。イスラムは「中庸」を大事にする宗教なのです。
喜捨と礼拝
コーランの中には信者の義務として、礼拝と喜捨が並記されている箇所が27以上あります。礼拝とともに極めて重要な義務です。
ハディース「喜捨の書」にも、礼拝とともに喜捨の重要性が説かれています。
ラマダン月の喜捨
施しは、特にラマダン月に奨励されます。貧者が断食によって、いっそう弱っているからです。
ラマダン月の善行は、アッラーのもとで倍加されるとあります。
イスラムの金銭感覚:ストックよりフロー
イスラムで喜捨が義務付けられている背景には、弱者救済の思想のほかに、イスラムの金銭感覚もあるように思います。
ムスリム社会では、ストックよりフローに重点が置かれます。「努力して稼いで、どんどん人のために使いなさい」という考え方です。
イスラムでは金銭欲を認め、人が努力して稼ぐことは奨励されています。「現世の富、神の恵を享受せよ」とコーランのあちこちに書かれている。ハディースには、お祈りばかりして家計を考えないものを厳しく非難する言葉があります。
ただし稼いだお金は他人のために使ってこそ意義があるのです。アラブでは「ケチ」は一番の悪口です。
お金は人々のために使ってこそ価値がある。よく働き、多くの喜捨をすることで現世で徳と信頼を高め、さらに来世で天国へ行くことができる。イスラムの喜捨は信者にとって良いことづくめなのです。
コメントを残す