イスラムの聖地*メッカ・メディナ・エルサレム
イスラムの聖地とは?
イスラムの3大聖地は次の3つです。(スンニ派・シーア派共通)。どれも預言者ムハンマドに関係する場所です。
最大の聖地:メッカ(サウジアラビア)
第2の聖地:メディナ(サウジアラビア)
第3の聖地:エルサレム(イスラエル/パレスチナ)
(地図)
①メッカ
預言者ムハンマドの生誕地です。
メッカの中心部にハラーム・モスク(聖モスク)があり、この中に「カーバ神殿」があります。イスラム教徒は日々、カーバ神殿の方向(メッカの方向と言い換えても可)に向かって礼拝します。
また一生に一回、メッカ巡礼(ハッジ)をする義務があります(体力的、経済的に許す場合のみ)。メッカ巡礼は信徒の大切な義務である「六信五行」の1つです。(*:六信五行とは?)
②メディナ(マディーナ)
ムハンマドが埋葬されている場所です。ムハンマドのかつての生家の横にあった礼拝場所が、今は預言者モスクになっています。そのモスクの一角にムハンマドの墓廟があります。
メッカを訪れた巡礼者は、メディナも訪れるのが普通です。
③エルサレム
なぜエルサレムが聖地とされたのか?1つは、ムハンマドが当初メッカでなくエルサレムに向かって礼拝していたこと。そして彼が天使ジブリールに連れられてここへ旅して、光のはしごに登り、昇天したという伝承があるからです。
メッカ&メディナの略史:
預言者ムハンマドがメッカでイスラムを興した当時、メッカにはカーバ神殿を中心に多神教が栄えていました。
ムハンマドは人々の迫害を受けたため、西暦622年に70人余りの信者とメディナに移住。これがいわゆる「遷都(ヒジュラ)」で、後にこの年がヒジュラ暦(イスラム暦)元年とされました。
ムハンマドはメディナでイスラームを布教。
630年にメッカに侵攻し、メッカの人々はムハンマドに全面降伏しました。
カーバ神殿とは?
カーバ神殿は、メッカのハラームモスクの中心にある石造りの立方体の建物のこと。(「カーバ」とは「立方体」の意味)
「神殿」と言われますが、神を祀った場所ではなく、神体も祭壇もありません。中は空洞です。
イスラム教徒はカーバ神殿の方向に向かって礼拝しますが、この方向のことを「キブラ」と言います。
カーバはいつできた?なぜ中が空洞なのか?
伝承によれば、人類最初の預言者アダムとその妻がカーバ神殿を築いたとされます。
しかし大洪水で跡形もなく破壊され、その後、神の命を受けた預言者アブラハム(イスラムでは「イブラヒーム」という)が再建しました。その建設時に使用した踏み台(「イブラヒームの立処」)が残されています。
その後、ムハンマドがイスラムを興します。当時メッカの人々は多神教徒で、カーバ神殿の中には多神教の御神体が祀られていました。(ムハンマドが青年の時、カーバは彼の背丈ぐらいの大きさだったそうです。)
ムハンマドがメディナに遷都し、再びメッカに戻った際、イスラムに反対する人々が全面降伏。カーバの中の多神教の御神体は破棄されました。
コーランの中で、神がカーバ神殿に巡礼することを命じています。
「この聖殿に巡礼することは、人間としてアッラーに対する(神聖な)義務である」(3章97節)
メッカ、メディナはイスラム教徒以外は入ることができませんが、エルサレムは異教徒にも開かれています。
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