専業主婦は肩身が狭いは【幻想】
結婚して共働きが当たり前になった今、専業主婦でいることに負い目を感じる女性も少なくありません。
「いい大人が、他人に養ってもらって良いのだろうか?」
「家にいると、社会から取り残されてしまうのでは‥?」
‥などと、もやもやを感じてしまう。
専業主婦はそこまで引け目を感じる必要があるでしょうか?
外で働く事にこそ価値がある?
「働く人は偉い」のか?
「専業主婦=肩身が狭い」は、「稼ぐ人が偉い」という価値観から来ているのでしょう。
しかし「働く人が偉い」は人類不変の価値観ではありません。
人類の長い歴史の中での、ここ最近2~300年間のこと(:働いている人は働かない人より偉いのか?)
もちろん「働くのが悪い」わけではありません。「働く人こそエライ」という価値観が間違っているということです。
男性は働く女性を望む?
しかし今は女性は「専業主婦になりたい」とはなかなか言いづらい。不景気ということもあり、妻も働くことを望む男性が多いからです。
この点、30年以上キャリアがあるベテランの仲人と話した時、「今は働いている女性の方が男性に人気ありますよね?」と言うと、彼は「妻のお金をアテにする男は、草食だから!」とバッサリ。
もちろん男性が結婚相手に働く女性を望むのは、「社会性がある」「話があう」からであったりもするでしょう。しかし社会性は、社会で働いたから身につくものではありません。
そして妻も働いてほしいという男性は、家事もきっちり分担してくれるのでしょうか?
妻も働いた方が世帯収入が増える?
収入だけ見れば、共働きの方が多いのは明白です。「収入だけ見れば」です。ただ女性が家事も育児もしつつ働くのは、日本ではかなりしんどい。
たとえば、中東やパキスタンではメイドを安く雇えるし、午後2時とか3時にオフィスが終わる。大家族制だから女性が働いていても家族の誰かが子供の面倒をみてくれる。日本にこういう環境はあるでしょうか。
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収入がたくさんあればあったで、それだけ使ってしまうのが、人間の性です。それよりも生活コストを下げるという手もあります。
もちろん収入が多いに越したことはありませんが、先の仲人曰く「男が余計な金を持つと、ロクなことないからね」。共働きなら経済力があるため、今は離婚するのも容易です。それが「自由」だとすれば、一昔前の日本女性には、そういう自由は今よりはありませんでした。
今は経済力と自由を手にした。でも離婚しやすくなったとしたら、経済力とはいったい何なのでしょう?
さいごに
夫婦のどちらかが働かなくても良いくらいのゆとりがあり、余裕を持って家事や子育てを楽しめるのが、本来の人間的で豊かな暮らしだったと思います。
「稼ぐ人が偉い」というのは、戦後の高度成長期に形成された、経済至上主義の中の価値観です。
そのために家事や子育ては素晴らしい仕事だという価値感がゆらぎ、家の外にこそ何か楽しいことがあるような錯覚を持ったり、家の外で働くことこそ価値があると考える人が増えた。
家事はなるべく短縮し、外注したりロボットを使ったりして、空いた時間を何か他の「楽しい」「有意義な」ものに使おうという傾向もあります。
しかし「その他のもの」は、家事以上に価値のあるものでしょうか?
家庭内の日々の暮らしは、そんなに価値がないのでしょうか?
食事を作り、掃除をし、洗濯をする。
出来合いの惣菜でなく手作りの健康に配慮した食事を自分の手でつくる。
ロボットでなく、自分の手で床を磨く。
自分で味噌を作ったり、ぬか漬けを作ったりしてみる。
身の回りの日々の営みを丁寧に、そして楽しみながらやることが、これからの長い人生を楽しむ秘訣ではないでしょうか。
【参考図書】
20年間の取材によるイスラム女性たちのリアルな日常を紹介。モロッコ、チュニジア、エジプト、イラン、パキスタン、モルディブ‥‥。歌あり踊りありデートあり。「抑圧」などメディアによって作られたイメージと違う、生き生きした女性たちの実像を紹介します。
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