『パパラギ』*物がたくさんなければ暮らしていけないのは心が貧しいからだ。
「新聞もまた一種の機械である。毎日たくさんの考えを創りだす。ひとつひとつの頭が考えだすより、はるかにたくさんの考えを。
しかし、たいていの考えは誇りも力もなく、弱い。おそらく私たちの頭は栄養でいっぱいになるだろう。しかし、強くなりはしない。」(「パパラギ」より)
先日部屋の引っ越しをしていたら、本棚の奥から出てきた20年来の愛読書「パパラギ」
『パパラギ』とは?
『パパラギ』は、サモアの島の酋長が、ヨーロッパにでかけた後、島民に語る話。
彼の地、文明病におかされた暮らしをしている現地の人(パパラギ)に接し、そのおかしさや問題点をユーモアたっぷりに語り伝えるものです。
フィクションでかつ小学生でも十分読める本ですが、これがけっこう深い。
物がたくさんなければ暮らしていけないのは、貧しいからだ。
文明や文明人に対しての鋭い示唆に富んでいる。たとえばこんな部分。
「物がたくさんなければ暮らしていけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって創られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしにはもう生きてゆけない。」
スマホを始終いじっていた私は、まさに「パパラギ」でした。
「栄養(情報)」で頭がいっぱいになって、それでも満足せず、ヒマがあれば、お気に入りに登録しているブログを見たりニュースサイトを見たり。
それで得たものとは、いったいなんだったんだろう?
そもそも情報を得るのは、何のため?
情報の収集というのはエンドレスで、つめ込めばつめ込むほど「もっと自分の知らないものがある」「世界には知らないことがいっぱい!」という気持ちにさせられるもの。
でも、たくさんのことを知ったから賢くなるわけではないんですよね。
(「町ではやることが多すぎて、祈っている時間がない」と砂漠に一人で暮らす遊牧民女性サイーダ。読み書きはできず、本を読んだこともないけれど、語る言葉は深い。「女ノマド、一人砂漠に生きる」より)
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