ザンラ尼僧院 <ラダック・ザンスカール地方>*自分が必要とされている場所で生きる。
インド北部ラダック地方の秘境ザンスカールにあるザンラ尼僧院。ここでとても魅力的なインド女性に会い、当初考えていた滞在は、また違ったものになりました。1泊の滞在予定が2泊に。
ザンラ尼僧院/Zangla Nunnery
ラダック地方のティクセで尼僧院を訪れた私は、ザンスカールでもぜひ尼僧院を訪れたいと思っていました。多くの女子が尼僧院に入ると聞いていたからです。
聞いたところでは、ザンスカールには11の尼僧院があり、尼僧の数は全部で160名ほどとのこと。
幸いザンラ尼僧院にはゲストハウスがあり、そこに宿泊しながら尼僧院の暮らしに接することができました。尼僧院には、17人の子供の尼僧と12人の大人の尼僧がいます。
大人の方は30代から88歳まで。ふだん畑の手入れや水やり、牛の世話、料理などをしていて過ごされています。
大人の尼僧1人と子供1、2人が同じ宿坊に暮らしています。これによって大人は自分の生き方を子供達に伝えることができる。そうやって次世代に教えが続いて行くのです。
尼僧になって幸せか?
「なぜ尼僧になったのか?」と一人の方に聞きました。
「小さい頃学校に行くのがいやで、外で遊ぶ方が好きだった。そこでお父さんが、こんなことならと尼僧院に入れることにした。そしたらそこでも暮らしはとても楽しかった」。
ー尼僧になって幸せですか?
そんなぶしつけな問いに、「とても幸せ」と彼女は顔をほころばせます。
「私には8人兄弟がいるけど、みんな結婚して子供がいて、いつも子供や孫のことであたふたしている。自分は自分のことだけ考えていられるし、他にここの子どもたちの面倒さえ見ていればいい。心はとてもピースフルだ」という。
ー冬の暮らしは積雪が多くて寒くて大変ではないですか?と聞くと、「冬はすごく静かな時間。夏みたいに忙しくない。畑仕事もしなくていいし、水くみや家畜に水をやらなくていい。水はたしかに必要だけど、夏みたいにのどが渇かないし」
小学校のレベルの高さ
尼僧院の中の学校を見学しました。先生は見るからに都会的で知的な感じのインド女性。英語とヒンディー語で授業を行っています。
すぐにそのレベルの高さに驚きました。授業は英単語あてゲーム。先生が言った英単語を、当てられた児童が先生のノートパソコンに書き、その意味を言うというもの。
Mother,kitcen,pizza,table,speak,mountain,come,listen,,pencil, activity‥。
これらを日本の小学生が綴りを正確に書いて、意味も言うなんてできるでしょうか?
ところが子どもたちは次々に正解を出していく。しかも英語もヒンディー語もほとんど理解している!(ここでは日常会話はラダック語です)
子どもたちは4つのグループに分かれて、先生から問題が出ると、指名されたグループの子どもたち同士ヒソヒソと話し合い、そして有志が前に出て、先生のパソコンで文字を書いて、意味を言いいます。
ゲーム性もあって子どもたちも楽しめるし、子供達の社交性も育てられる。良く考えられた授業です。
お昼の時間。この学校で学ぶのは5年生までで、その後本人が希望すれば南インドの学校に進います。そこを終えて尼僧院に残るかどうかは自分の判断で決めるそうです。
子どもたちは土曜日の夜実家に帰り、月曜日の午前中に帰ります。しかしここが楽しくて帰りたくないという子も半分くらいいるそう。
インドでどこが最も貧しいか?
ランチを一緒にいただきながら、先生デヴィナに話を聞きました。出身はデリー。ここでは全くのボランティアで教えているというので驚きました。つまり無報酬。しかもどこかから派遣されたわけでもなく、全く自分の意志で働き始めたというのです。
「インドの中でどこが最も貧しく辺境で助けを必要としている地域か」をリサーチし、ここに辿り着いたという。
今はゲストハウスに暮らしています。私は彼女の隣の部屋に滞在。朝・夕と、ゲストハウスにある簡易キッチンで、デヴィナが美味しいスープを作ってくれました。
ザンスカールはラダックの他の場所より貧しいとデヴィナ。「他の地域から隔離されていて、色々なものが入ってこないから」。
カルギルとパドム(ザンスカールの中心)、マナリとパドム間の道は、冬は雪のため閉鎖されてしまいます。夏でも、マナリとパドム間はシェアタクシーが毎日あるわけではない。私が滞在した時は、夏なのにパドム~マナリの道は(今回の雨のために)通行止めでした。
そしてザンスカールの一番の問題は教育。ここではお金がある人はプライベートスクールに行く。そしてジャムーやチャンディガルの大学へと進み、ここには戻ってこないのです。
いつもここのことを考えていた
ここに来る前、デリーで6年間教師をしていました。仕事はとても充実していたものの、この場所に出会い、「私はここでもっと必要とされている」と思い、辞める決心をしたそうです。
最初に1ヶ月間ここに滞在。再び訪れたのは、その8~9ヶ月後です。その間、いつもこの尼僧院のことを思っていたと言います。どんなカリキュラムで教えるか。
子供達の変化
デヴィナが初めてきた3年前、子供たちは全く英語もヒンディー語も話せませんでした。
「ここに着たときの学校は悲惨だった。とても息ができるような状況じゃない。歩けばドロぼこりがまって、本棚からテキストを取り出せば、またホコリがまう」。
子どもたちは最初、いぶかしがったりして、陰に隠れてしまったりしたそう。でも今は子どもたちの方から話しかけてくる。私も質問責めにされました。他に尼僧院では体験しなかったことです。
いつも変わった場所を旅してきた
デリーで教師をしていた時は、生徒たちを連れてケララ州のkuttanad島へ行ったりもしていた。生徒が泳いで学校へ行く島です。
「生徒たちはチャレンジしたことがないから。リッチな生まれの子たちばかり」。
彼女の旅行先を知って、周囲の皆が「なぜそんなところに行くの?」。有名な観光地の名前をあげて、「どこそこはいかないの?」と不思議がるそうです。
それに対して「観光地には興味がない」とデヴィナ。「旅では写真も撮らないわ。その場の空気を感じるだけ」。
いつも写真ばかり撮っている私は、いたく反省しました。
スマホはいらない
ゲストハウスにはWi-fiがないので、デヴィナのスマホのホットスポットを使わせてもらおうとしたら、断られました。彼女はスマホを持っていないのです。
「かわりにPCがあるし、困らない。スマホを見ないぶん、自分と対話する時間がたくさんある。私は他人と話をするより、自分と対話するほうが好きだし」。
デリーで暮らしていた時より、今の方がピースフルだと言います。
「デリーではものがたくさんあって、生活は楽だった。でも人々は優雅な家、豪華な食べ物、きれいな服、そういったものを得るために一生懸命働いている。でもそういうもので、私は幸せを得られないの」。
冬の間は尼僧院の学校が閉まるため、彼女はこの地を離れます。その間ケララの瞑想のアシュラムで過ごしたり、ブッダガヤのアシュラムに滞在したりと、4,5箇所を転々としている。
滞在先では主に瞑想や英語を教えたりしているという。たくましい。
自分が必要とされているという実感
デリーでの仕事を辞めると言った時、母親は「どうやって食べていくの?」と不安になったと言います。おそらくどんな人でも同じ反応をするように。
ここでは無報酬。寝る場所、食事は提供されているものの、冬の間他の場所で過ごすにはお金が必要です。
将来やお金のことで不安にならないのだろうか?と私などは考えますが、お金はそれほど大切なものではないのかもしれない。
お金はあとからついてくるもの。大切なのは、やりたいことがある・自分が必要とされていること。
「今の方が心がピースフルだ」とデヴィナは言います。それは自分の確かな居場所があるからかもしれない。自分の生きる目的がはっきりしている。羨ましいと思うくらいに。
人から必要とされているということ。それがどんなに人に生きる希望や心の安定をもたらしてくれるか、彼女と接しながら知ることができました。
【ザンラ尼僧院/ Zangla Nunneryの情報】
ザンスカールには昔から王様がいて、パドゥム王家とザンラ王家の2つが中心でした。ザンラには今も王様が住んいて、その住まいを訪れる事ができます。王宮から見て尼僧院は村の反対側の丘の上にあります。