テレビもスマホもネットも電気もない暮らしから見えてくること。

スンバ島の村で川に水浴びに行ったついでに、水牛たちと遊ぶ。男子も女子もいっしょに。
インドネシアの山奥でテレビもスマホもネットもない暮らしをしていました。そういう人たちの家に滞在していたのです。
情報や娯楽を与えてくれるテレビもスマホもないので、さぞかしヒマで退屈してしまうのでは?と思いきや、全くそんなことはありません。
ヒマな時間があまりないのです。電気も水道もガスもないから、水はくみにいかなければならない。煮炊きに使う枯れ木も山に集めに行きます。

スンバ島の村で水汲みに行く子供たち。
水があるのは山を下った先にある川や井戸。ここと家との往復で、多い時で1日に4回、山を上り下りします。この時間をトータルしたら、2時間くらいになってしまう。
そして料理する野菜を庭からとってきたり、米を食べられるように臼と杵でついたり。こういったことをしているうちに、1日が終わってしまいます。

スンバ島の伝統家屋でのくらし。
それに比べれば、今の私の暮らしがなんと楽で便利なことか。水は水道をひねれば出てくるし、料理はガスのスイッチをひねるだけ。玄米を食べていますが、買った時点ですぐ炊けるようになっている。
そういう暮らしに慣れきった私にとって、電気もガスもない暮らしは単なる体験としてはいいけれど、ずっとやれと言われたら?きっと無理です。
水汲みがイベント

西チモールの山奥にある村の村長の家で。
生活インフラが整っていない生活は、一般的には「不便」と思われますが、不幸なのかというと、話はそう単純ではありません。
水汲みに行く間に、必ず人の家の前を通ります。田舎の村では誰もが知り合いです。私たちの姿を見て必ず声をかけてきます。
「誰だ、その外国人は?」
そこから「今日はどうしたこうした」などと、えんえんと話し込むことになります。
洗濯も水浴びも川でやります。子どもたちは、そこで水浴びしている水牛といっしょに遊ぶことになります。
私にとっても水汲みがイベントになっているのは同様です。井戸に行くまでに上半身が裸のおばちゃんがいたり、イカット(織物)を織っている女性がいたりして、パチパチ写真に撮らせてもらう。
水関連のイベントとしては、日本でも温泉に行ったりキャンプ場に行ったりするわけですが、それにはしばしば温泉旅館やキャンプ場、高速道路などに高いお金を払わなければならなりません。ここでは無料で身近に用意されているのです。
テレビやネットの情報とは?

西チモールの山奥にある村の村長の家で、古いとうもろこしを脱穀する家族と親戚の女性たち。
テレビもスマホもないから、世間の動きから取り残されてしまう?と思いますが、これも話は単純ではありません。
西チモールでは、あえてテレビや電気を拒否する村長に会いました。村民たちの家に電気やテレビはなく、車やバイクもない。
なぜそうするかについて、彼の考えは徹底しています。「自分たちにとって本当に大切な情報以外、それ以上の情報を得る必要はないから」。
「本当に大切な情報とは?」とたずねると、「いつ(自分たちが食べる)植物の種をまくか、動物たちをどうするかなどです」。
テレビやネットの情報は、ヨソの人がどうしたなど自分にはあまり関係ない情報です。どこそこで戦争をしている、どこそこの国の景気が落ち込んでいる‥
この「どこそこで戦争をしている」と、「いつ植物の種を蒔くのか?」と、どちらが本当に大切な情報なのでしょうか?
スマホやテレビで幸せになれる?

西チモールの山奥にある村の村長の家の炊事場。
「私たちは世の中や世界のことを知らなければならない」と勝手に思わされているいます。
では世界のことを知って幸せになるのでしょうか?
人生の目的は楽しく幸せに生きること。ならば、スマホやテレビで幸せになれるかどうかは、大切です。
彼らがテレビやスマホがないことで、不便や不幸を感じているかというと、全くそうは思えませんでした。
逆にそれらがあると、本当に自分にとって大切なことが見えなくなってきます。
たくさんの情報を得ることで頭の中が混乱してくる。
ヨソの他人のことを気にするようになる。
たぶん村長はそれを危惧していたのではないでしょうか。
その証拠に、必要以上の情報を入れない村長の周りには、いつも静かでおだやかな空気がとりまいていました。
ちなみに村長や村の人が全く外部や世界の情報を知らないわけではなく、しょっちゅう外部の人間(私のような外国人も含めて)が訪れるので、そういった人から聞くことができる。それで十分なのだそう。今の時代、どんな田舎に住んでいても、外の情報に全く触れずに生きることは不可能、だとも言えます。
私にとってのここでの1番の収穫は、川に水汲みに行ったり洗濯したりして、そのあと食べる、米と野菜だけのシンプルなごはんが、とてつもなく美味しいことでした。