イスラムは人間性善説*イスラムの人間観とは?
イスラムの人間観とは、どのようなものでしょうか?キリスト教のように原罪を負った存在なのでしょうか?
イスラムは人間性善説
結論から言うと、イスラムは「人間性善説」です。原罪を背負った存在ではありません。
コーランにもアダムとイブの物語があり、アダムとイブが罪を犯して楽園を追放されるところまでは同じです。しかし、それ以降の展開が違う。
アダムは罪を悔いてアッラーに心から懺悔したため、アッラーは罪を許してくださったというストーリーとなっています。そして以後の人間も罪を負うことはありません。
しかも神は人間を他の存在より美しい姿に創り、他にはない感情や知性、自由意志を与え、他よりも超越させたのです。
つまり「人間を特別扱い」しているこれがイスラムの人間観です。
人間を最も美しい姿につくった
神は人間を全てのものの中で最も素晴らしい姿に創ったとコーランにあります。
『本当にわれ(アッラー)は、人間を最も美しい姿に創った。それからわれは、かれを最も低く下げた。信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。」(95:4)
人間を最も美しい形に創ったが、信仰において不真面目なら、低いところに堕落してしまう。だから良い生き方をしなさいと戒めています。
人間を他よりも超越させた
そして神は人間をほかより超越させました。。
『われはアーダムの子孫を重んじて陸海にかれらを運び、また種々の良いものを支給し、われが創造した多くの優れたものの上に、かれらを優越させたのである」(17:70)
人間には海や陸を移動したりする力や、様々な恵みが与えられています。そして多くの存在より超越させてくださった。
だからそのような恩恵に感謝し、有効に人生を使いなさい、ということです。
地上の代理人とした
神が人間をこのように感情を与えたり、他より超越させたのは、地上で神の意志を代行する「代理人」として責任を持たせるためです。
『人間を創造したのは、神に使えさせるため』(51:56)
『あなたの主が天使たちに向かって「本当にわれは、地上に代理者を置くであろう」と仰られた時を思いおこせ。彼らは申し上げた。「あなたは地上で悪を行い、血を流す者を置かれるのですか。私たちは、あなたを讃えて唱念し、またあなたの神聖を賛美していますのに』(2:30)
人間だけが善悪を選択する自由を得た。これによって代理人として他の被造物が担わない大きな責任を負います。
知識や感情を与えた
さらに人間には感情や知識も与えられています。
『かれこそはあなたがたを創り、あなたがたのために、聴覚、視覚、感情を与えられた方である。なんとあなたがたの感謝の念の薄いことよ。』(67:23)
人間だけが判断能力をもつ
そして山や大地にはない判断能力も備わっています。
『本当にわれは、諸天と大地と山々に信託を申しつけた。だがそれらはそれを担うことを辞退し、恐れた。人間はそれを担った。本当に不義でありかつ無知である』(33:72)
人間には善悪の判断をする自由がある。それゆえ時に間違いを犯しやすく、無知で弱い存在とあります。
人間は弱く不完全なもの
人間は他より超越した存在である一方、弱く間違いを犯しやすい存在でもあります。
それは原初の人間の原罪とは違います。弱いは「悪い」という意味ではない。「罪」とは意味合いが違います。
『アッラーは、あなた方の負担を軽くするよう望まれる。人間は弱いものに創られている』(4:28)
『神は人間に能力以上のものを負わせない』(2:28)
弱く不完全な存在だからこそ、人には初めから完璧さは求められていないのです。
だからこそ神は恩恵として啓示を与え、正しい道に導こうとしてくださっている。こう思うと神に感謝しかありません。