「小説トリッパー」2014年春号に、「女一人、イスラム旅」と題するエッセイを寄稿しました。
*記事全文*
「エジプトの男と結婚しているのか?」
私が少しアラビア語が話せるのがわかると、エジプトのタクシー運転手は必ずこう聞いてくる。次はきまって「子どもはいるのか?」だ。
もし、結婚して半年以上で子どもはいない、などと答えたらタイヘン。「医者に行ったのか?」「ダンナは欲しくないのか?」と根ほり葉ほり聞かれた上、しまいにはこう言われるのだ。
「やることやってるのか」。
(よけいなおせっかいだ!)と心中で苦笑しながらも、この手のやりとりが嫌いではない。これこそエジプト的、イスラム的だからだ。
あちらでの生活の中心は結婚と出産で、結婚後の性の話はタブーでなく、それどころか、イスラムでは夫婦間で性生活を大いに楽しむよう教えている。意外に快楽指向なのだ。
え?と思われるだろう。イスラムといえば婚前交渉の禁止、一ヶ月におよぶラマダンの断食。いったいどこが快楽指向?と。
だが、断食した後の食事は、いっそうおいしく感じられるものだ。
婚前交渉の禁止も同じ。結婚まで禁欲なら、結婚後の楽しみは大きくなる。結婚後の夫婦生活をエンジョイし、ついては子孫繁栄(信者拡大)のため、結婚前は禁欲がよいとイスラムでは考える。
これが日本と大きく違う点だ。日本では婚前セックスは当たり前。結婚したら、逆に減少傾向が見られる、なんてこともある。それどころか、最近は結婚したとたんセックスレスなどという話も聞く、ご時世。
イスラムの国でそれはない。なにしろ結婚まで禁欲だ。晴れて結婚したら、セックスレスになっている場合じゃない。そしてすぐに子どもができる。こういうのが当たり前の人たちにとって、それなりの期間結婚していて子どもがいない人を見ると、ついついおせっかいにも言いたくなってしまうもの。「やることやってるのか」と。
このように、イスラムの国は日本と、特に男女関係や結婚について、様々な点で異なっているのが興味深い。
私は20年ほど前に1年ほどエジプトに住んだのを皮切りに、様々なイスラムの国に足をのばしていきた。その間現地の結婚式に出た機会も多い。
日本とあちらの結婚式も違っている。
日本ではスピーチや着席での食事が中心で、どちらかといえば静かで整然としたムードで進行する。対して向こうでは、ひたすら歌と踊り。日本の盆踊り大会のようななものを想像してもらうと、わかりやすい。そして、熱心に踊っているのは、必ず女性である。
チュニジアでは、式は一週間ほど行われるのが普通で、この間女性たちは連日(主に夜間)踊り続ける。よく体力が続くものだと感心する。
エジプトの式に欠かせないのがベリーダンサーだ。肌を露出した衣装でエロチックな踊りを披露し、夫婦の夜に向けた気分をもり立てる。興が乗ってくると、ベリーダンサーの胸の谷間にチップがはさまれる。
式のメインイベントは、「二人の初夜」である。この日に向け、花嫁は全身の毛をそる。(そう、アソコもだ!)。「男は毛が嫌いだから」だそうである。
初夜当日は、夫婦の寝室のベッドが派手に飾られる。チュニジアの結婚式では、ベッドの上にキャンディでハート模様が描かれたりするし、パキスタンの結婚式では、ベッド回りが花で飾られたりする。
日本ではとかく性に関して、うしろめたい気分がつきまといがちだが、イスラムの国では、明るく、またあっけらかんとしたものだ。
日本とイスラムの国の違いは、女性下着にもみてとれる。
”勝負下着“とは、日本では結婚前のお付き合いで身につけるのが普通だ。結婚後は(そうでない方もいるかもしれないが)、どちらかといえば、色気より実用優先。何を隠そう、私もそう(夫よ、ごめん!)。
だがイスラムでは結婚後が勝負だ。結婚がきまった花嫁は、セクシーランジェリーをどっさり買いあさる。「男が好きだから」だそう。
チュニジアの結婚を目前にした花嫁は言う。
「ここでは、みんな12色のパンティをそろえるの。赤やピンクみたいな色だけだと夫があきるから、たまには黒とかでイメチェンするのよ」
エジプトの新婚夫婦の家に招かれた時のことだ。二人の新居の玄関を開けたとたん、私は立ちすくんだ。目の前に、なんと深紅のスリップ姿の奥さまが立っていたのである! 驚いている私を前に、彼女は涼しい顔で言った。「エジプトの妻は、家でみんなこういう格好してるのよ」。
イスラムの国の町中には、たいていランジェリーショップがある。そのショーウィンドーは、アダルトショップかと思うようなセクシー下着のオンパレードだ。ピンクのシースルーのベビードールやフリルレースの真っ赤なパンティ、ヒョウ柄ビキニや黒のガーターベルト4点セット……。日本ならばネットや通販でなければ買えないようなモノが、堂々と白日の下にさらされる。
サウジアラビアに住む友人の話では、あちらにもごく普通にこの手の店がある。ただし店員はほとんどが男性。サイズを測ってもらうわけにはいかず、かといって試着室もない。客は手にとって、自分に合うかどうかを判断して買っていくという。
ところで、イスラムの国で女性は肌を見せない。イランなどではほとんどの女性が、チャドルという黒いマント風のガウンを着ているし、ほかでも体の線が見えないゆったりした服装が主流だ。このランジェリーショップはいかがなものか?
この手の下着は結婚した女性のためのものだ。結婚したらセックスを楽しめというのがイスラムの教え。そのために欠かせないのがセクシー下着。むしろ、ランジェリーショップは、宗教的に大いに推奨されるべきもの、ともいえる。
店の前で、男性がまじまじと見入っていたり、中年夫婦が肩を寄せ合いながら、ひそひそと話し合っている姿も見られる。
ちなみに、私の夫に「セクシーランジェリーとか着けた方がいい?」ときいてみると、「暗くて見えないから、何でもいい」という。一方、シリアのイスラム教徒の男性と結婚した私の友人は、ご主人に「いつもユニクロのパンツばっかりはかないで、もっとセクシーなのはいてくれ」といわれるそうだ。
日本とイスラムの男はここまで違う!
違うといえば化粧。
日本では、外に行く時に綺麗に化粧をするが、家ではすっぴん。だがイスラムの国では反対だ。化粧は外でなく家の中でする。つまり、「夫の前だけ」だ。
結婚を目前にしたチュニジアの花嫁は、やる気満々の口調で言う。
「結婚したら、毎日夕方4時くらいから化粧をして、夫が帰ってくるのを待つの」
結婚歴20年になるエジプトの人妻も、
「夫が帰る頃に、シャワーを浴びて念入りに髪をセットするの。それから赤い口紅を塗って……」
といった具合だ。
女性の美しさは夫にだけ見せるもの。日本女性のおしゃれが不特定多数に向けた「分散型」なのに対し、イスラム女性は夫への「一極集中」だ。
イスラムの国では(基本的に)結婚前の男女交際というものがない。
男性は気に入った女性がいたら、いきなりプロポーズする。彼女の父親のところに行き、結婚の承諾を得なければ、女性に会えないからだ。
結婚にいたる出合いのパターンは、見合いやいとこ同士、道で見かけた、職場で知り合ったなどが多い。見合いについては、婚約まで相手に会ったことがないというケースもある。
付き合って互いを理解する。こういうプロセスなしで結婚して、果たして大丈夫なのか? と思われるだろう。
これが意外とうまくいっているのだ。
結婚前に会ったのは一回会っただけ。なのに結婚後はラブラブ。そういうカップルはイスラムの国に多い。
男女の接触が制限されているため、縁あって自分の目の前に現れた異性が、ひどく魅力的に映り、「この人しかいない!」と思ってしまうらしい。
そして、家では妻の「一極集中」と、セクシーランジェリーの真剣勝負。外では夫が目にするのは、黒いマント姿の女性ばかり。これでは、平凡な妻も美しく見えるというもの。
ところで、会っていきなりプロポーズ、は女性にとってメリットがある。男性と会う上で、必ず結婚が保証されているからだ。「付き合っている彼がなかなか結婚してくれない」みたいなことがない。
結婚しないでセックスでも何でも自由にできたら、べつに結婚なんてする必要ない、などと考える背が出てくるのも自然の理。その点、まず先に結婚があるというのは、女性にとって悪くない。会ってみて嫌だったら婚約キャンセルもOKだ。
日本のように、女性自ら相手を見つけ、恋愛関係に導き、かけひきなどをして、プロポーズさせる、という一連のプロセスを、イスラム女性がもしやるとしたら、「げー、めんどくさい!」と叫ぶだろう。
こうしてバージン同士で結婚、というケースも少なくはない。いざその場におよんで、やり方がわからない、みたいなことはないのか?
3回の婚歴がある50台のエジプト人男性は言う。
「犬や猫だって、セックスのやり方を本で読んだりして知ってるわけでないのに、自然にやっているだろ。それと同じさ」
40代のパキスタンの男性。
「『チャタレー夫人の恋人』なんかを父親の本棚からこっそり引っ張り出して読んだり、『プレイボーイ』を知り合いから手に入れて勉強した。今はインターネットで何でも見れるから、便利になったもんだ」
女性の場合、結婚が近づくと、親戚の女性や結婚した友人などから、その日の夜、どういったことをやるか、といったことを微に入り細に入りしこまれる。
一度も寝たことのない相手と結婚して、寝てみてガッカリするようなことは? バージンの男性と結婚した40代のパキスタン女性に聞いた。
「夫にがっかりしたかって? 結婚前に経験がないんだもの。他の男と比べようがないわ。あったら気になっちゃうだろうけど。普通の男性なら、セックスだってノーマルなレベルのはずよ」
と言う。
「それより、お互い初めてで、二人で少しずつ作り上げていく。こんなロマンチックな関係ってないわ」
日本での恋愛は結婚前、イスラムでの恋愛は結婚後。しいていえば、こんな感じだろうか。
このように、イスラムの男性は結婚までセックスはおろか、女性の手さえ握れない(ことが多い)。
さらに結婚にあたって、男性は必ず家を用意しなければならないことになっている。それも賃貸でなく持ち家だ。日本ならローンを組み、何年もかけて買うものが、あちらでは結婚時に用意できていないといけない。
女性の側も家具などの持参品を用意する。その数量たるや、一部屋まるまる埋めつくすほど。日本のように、結婚してお金ができたら少しずつ物を買い足していこう、という発想がないのだ。
だがその家具ですら、ヨルダンなどでは、男性がすべて用意すると決まっている。加えて盛大な結婚披露宴の費用などすべてだ。
加えて男性は、女性に結納金(マフル)や金の宝飾品の贈り物(シャブカ)も与えなければならない。これらの金額を合わせると、男性の年収の何倍にもなるというケースもあるそうだ。そのため、35才や40才になっても結婚できない男性は多い。エジプトなどでは結婚資金をためるため、多くの男性がサウジアラビアや湾岸の国に出稼ぎに行く。
先のマフルには、先払いのものと、離婚した場合に払う後払いのものがある。後払いの方は、つまり女性にとっての離婚保証。先払いのマフルより、こっちの方がかなり高額なのが普通だ。
そして家計は男性の負担、がイスラムの教えだ。妻の方が収入が上の場合も、である。 仕事を持つパキスタン女性に複数インタビューしたことがあるが、中にはご主人より収入が上という女性もいたが、家計を賄うのはすべてご主人担当だった。
彼女達は自分の収入で、趣味のアートや自分の両親へのプレゼントなどを買うとのこと。「男が余計なお金を持つと、ろくなことがないわよ」と言っていたが。
もちろん都市部では物価が高騰し、夫の給料だけではやっていけず、女性でも働いて家計を助けるケースもある。だがそうでない場合、「君も働いてるから、生活費は折半ね」などは、ナンセンスだ。
つまり、イスラムの結婚は女性に甘いのである。
じゃ、一夫多妻はどうなんだ? あれは男尊女卑じゃないか、と思われるかもしれない。意外に女性の救世主的側面があったりするのだ。
私が30代後半になっても結婚できないでいた頃、イスラムの女性は私に冷たくこう言い放ったものだ。
「アンタみたいに、いい年して独り身より、妻といる男とでも結婚した方が、よっぽどよいわ。セックスできるし子どももできるし」
行き遅れた女性も、一夫多妻制なら救われる可能性は高くなるというわけだ。
「日本じゃ、結婚している男が、かくれて外の女と会ったりするんだろう? それよりちゃんと結婚した方がいいさ」
とイスラムの男性は言う。
いい男はすでに結婚していると言われる。どこかの国では、そんないい男(?)と、ずるずると不倫を続けたあげくに婚期をのがす女性もいたりするが、一夫多妻制なら、結婚できる女性も増えるかもしれない?
夫が他の女性と結婚するかもしれないという緊張感が妻にあるから、夫の気をそらさぬよう尽くし、夜はセクシー下着でがんばる。これが夫婦のマンネリ化を防ぎ、夫婦仲がますます良くなる。こんな、男に都合の良い意見もあったりする。
それどころか、一夫多妻では、経済力や包容力を持つ一部の男に女が集中し、結婚できない男が続出する。実際には生活費はすべて男性の負担であるため、複数の妻を持てる男性は決して多くはない。イスラムの結婚制度は男性に厳しいのである。
結婚には大金が必要、結婚しても尻にしかれる。それでもなぜ結婚するのか? 結婚が宗教で奨励されていることもあり、独身者が生きづらい社会であること。なにより、結婚しないとセックスができない、かといってろくな性産業もない、といったことが大きい。
対して日本では、男性は結婚しなくても女性と何でもでき、結婚するにも家を用意しなくてもよい。にもかかわらず、最近は女性と付き合うのがめんどう、結婚にも興味がない、そんな男子が増えているという。もったいない!
すぐに手の届くところにあるぶん、ありがたみも薄いわけだ。
世では晩婚化・少子化が深刻な問題になっているわけだが、いっそのこと、結婚まで女性と手をつなぐのは禁止! みたいな法律をつくれば、子どもが増えるのではないか、などと思ったりする。
……と、イスラムの女性にいいことばかり書いてきたが、もちろんイスラムの女性すべてがハッピーなわけではない。夫がほかの女性とも結婚して、嫉妬心にさいなまれる女性もいれば、働かないため夫と離婚後、生活の必要から父親ほどの年の男性と再婚した女性もいる。かといって、イスラムの女性すべてが、日本で想像するほどにアンハッピーかというと、決してそんなこともない。
名誉の殺人、割礼等、イスラムの女性についての良くない出来事も耳にする。だがそれは、その土地の風習であって、イスラムの教えによるものではない。
そして、イスラムの国は日本人が想像するほど危険でも怖いところでもない。むしろ宗教が生活に根付いているぶん、治安が良い。紛争やテロなどは、ごく一部の地域に限った話である。
イスラムの国は女性が旅するのが大変、というのも大きな誤解だ。
「女性は宝石」という言葉がイスラムにはある。美しく大切なものは、やたらと人前にさらすものではない。そこから髪を隠し、男女を隔離するという発想が生まれてくるのだが、そのため女性は守るべきものという社会通念がある。
バスで立っていれば、自分より明らかに年上の男性が席をゆずってくれようとするし、知り合った人が口々に、「家に来なさい」と声をかけてくれる。
女性ならば、男女別々の結婚式でも、男性側と女性側双方に参加させてもらえる。一方で、地元の女性が足を踏み入れられないような場末の茶店にも、外国人ということで、違和感なく受け入れられる。女性が旅する上で、イスラムの国はまさに天国だ。
ともかく、先入観がくつがえされる。これが旅の楽しみだとしたら、イスラムの国以上に、この楽しみを味わえる国はないのだ。
小説 TRIPPER (トリッパー) 2014年 3/30号 [雑誌]