イスラム教徒と日本人の違いとは?
「イスラム教徒と日本人で、一番違う点は何ですか?」とある人に聞かれました。
長くイスラム圏の人々と接してきて、イスラム教徒の方々の特徴は、この2つではないかと思います。「あきらめが早い」「将来にクヨクヨしない」。
イスラム教徒はあきらめが早い
イスラム教徒は、失敗しても「これは神が望んだことだ」と思います。だからあきらめが早い。「自分の何がいけなかったんだろう?」とウジウジ悩んだりはしません。
イスラム教徒にとって、この世の全ての出来事は神の仕業です。聖典コーランには、こうあります。
「未来のことを言う時、『自分は〜する』と言ってはならない、必ず『神が望むなら』と付け加えなければならない」。
未来をどうこうできるのは、神だけです。未来の決定権は神だけにある。こう思っていれば、不幸と思われる出来事も、あきらめがつくのです。
私の友人には7人子供がいて、もういらないと避妊していました。しかし妊娠してしまった。彼女は「これも神様の贈り物」と嬉しそうに言っていました。
子供を望んだけれど、できなかった夫婦は「神様がそうされたから」と納得していました。
子供を事故で亡くした母親は、「あの子が死んだのは、神様がそうされたからだよ。今頃は天国にいるさ」と。表向き平静な表情で語っていました。
もし神様がいなかったら、とてつもなく大きな悲しみを自分一人で背負わなければなりません。
将来のことでクヨクヨしすぎない
私たちは将来に何かしらの不安があるものです。病気になったらどうしよう?老後にお金がなくなったらどうしよう?しかしイスラム教徒は「神がついているから大丈夫」と考えます。
私は砂漠に暮らす女性サイーダを長年取材してきました。砂漠にはサソリや毒ヘビがいて、噛まれたら死ぬこともあります。しかし彼女は言います。「神が見守ってくれているから大丈夫」。
子供がいない夫婦に「老後は不安ではありませんか?」と聞くと、「神がついているから大丈夫」。
どうこうできるのは神だけ
「神なんて、非科学的だろ?」と日本人なら思います。しかし、いるかいないかは誰にもわからないのです。だったら「いる」と信じた方が得です。
失敗しても「これは神の仕業だ」、将来の不安についても「神がついているから大丈夫」と思える。これなら心の病にはあまりならないでしょう。人間、何事も自分に都合よく考えた方がいいのです。
私たちは新年に神社に行くと必ず祈ります。「神様、どうか今年も良い年でありますように」。誰でも心の奥底には、「神」を求める気持ちがあるのです。
そして「神様、どうか‥」の言葉の裏には、「最終的に未来をどうこうできるのは神様だけ」という潜在意識があるからではないでしょうか。それを明確にしているか・していないかの違いだけです。
人の力には限界が
それでも私達は「未来は自分の手でどうこうできる」「努力次第で未来は切り開ける」と思いたがります。でも人間の力は限界があリます。どんなに努力しても、叶わないこともある。
「おごり」の気持ちがあると、失敗した時に痛い。「自分の努力が足りなかったんだ」と思うからです。そうではなく、「神様にお任せしよう」とゆったり構えていた方が、楽に生きられると思いませんか?
そもそも私たちが生まれたのも、死んでいくのも、自分の意志ではありません。だから自分の意志で未来をどうこうしようというのが、いかに小賢しいものか。自分ででできることは、たかがしれています。
自分の意思を超えた大きなもの(イスラム教徒の場合は「神」)を視野に入れておけば、ゆったりかまえていられます。先人はそれについて「人事を尽くして天命を待つ」と言いました。
「未来は神が決めること」と思っていれば、たとえ成功しても「それは神のおかげ」と思い、感謝の気持ちが湧いてきます。失敗しても、「神様がそうされたから」と自分を責めずにすみます。だから神様がいることは、結局は良いことづくめなのです。
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