イスラム教徒はどんな人たち?
先日女性の方とお話していて、「イスラム教の国って、とにかく怖いってイメージしかないんです」と言われました。ヨルダン人の上司のもとで働いたことがあるという方です。
そんな人でもそうなのですから、ほかの方なら、なおさらでしょう。イスラム教の国は怖いと思っていますよね?
そんな国で暮らしているイスラム教徒たちは、苦しい生活を余儀なくされている?
イスラム教の国は怖いのか?これを説明するには「イスラム教徒はどんな人たち?」をご紹介した方がいいかもしれません。人が集まって国ができているのだから。
イスラム教徒たちはどんな人たちなのでしょう?何を楽しみに日々生きている?
家族を大切にする
イスラムの方々は、とにかく家族を大切にします。いつも家族、親戚と一緒。休暇を過ごすのも家族や親戚たちと。
1日の仕事が終わると、日本のお父さんなら「同僚と一杯」といったところですが、イスラム圏のお父さんはまっすぐ帰宅。家族といっしょに食べる食事ほど、楽しいものはないのです。
寄り道するとしたら市場。奥さんに頼まれたパンや野菜を買って帰ります。
日本の子供は、放課後よその家に「〇〇ちゃんの家に行ってくるね〜」と出かけていきますが、イスラム圏の子供は親戚の家に行って遊びます。いとこや兄弟たちと。
30歳の代の大人でも、独身なら親ものとで暮らすのがあたり前です。娘ならなおさら。一人暮らしなんてありえません。リッチな方々も、結婚しない限り親元で暮らします。
今は少なくなったものの、結婚もいとこ同士で行われることもあります。一番信頼できる・愛着がわくのは家族・一族なのです。
イスラムでは婚外交渉を禁止していますが、それも家族に価値を置くため。夫婦以外の関係は、家族の価値を損なうことになります。
家族は社会の最小単位。その家族を大切にすることが、社会の秩序を保つことにつながる、そういう論理です。
踊りが大好き
イスラム教徒の人々は踊るのが大好きです。特にアラブの人々。まるでダンサーかと思うほど、ダンスがお上手です。
それが披露されるのが、もっぱら結婚式。エジプトの結婚式は半分くらいは、花嫁や花婿の自宅前の路地で行われます。
式にはスピーチやあいさつなど、堅苦しいものはなくひたすら歌と踊り。
イスラム教の国のためお酒はありませんが、大音響の音楽に乗って、皆陽気に踊ります。式は夜9時くらいから、しばしば明け方近くまで続く。
近所の人々も、空が白み始める頃まで、ベランダなどから飽きずに見物しています。
おしゃべりずき
最大の娯楽はおしゃべりです。親戚、家族、友人たちとの。
私たちは用がなければ電話はしません。用もないのにかけると、迷惑じゃないか?などと思う。でもイスラム教徒の人たちは、絶対そんなことは考えません。
用がなくても家をたずねます。何日もたずねないでいると、「私が嫌いになったの?」「何かわるいことした?」と言われます。たずねる時は、もちろんアポ無しでOK。
常に人と触れ合い、きずなを確認し合う。これがイスラム教徒の人びとにはとても大切。
友達なら毎日電話する、そして毎日会うたびに両頬にキスして挨拶する。日本人から見れば「ベタベタした」人間関係を重んじるのです。
あいさつが大事
人付き合いが大好きなので、あいさつをとても大切にします。
そのあいさつは全世界で共通。誰かに会えば、「ア ッ サラーム・アレイコム (あなたの上に平安あれ)」。それに対して「アレイコムッサラーム」と答えます。
あいさつを重んじるので、様々なシーンでのあいさつが決まっています。
旅立つ人へのあいさつ、病院にお見舞いに行った時のあいさつ、くしゃみをした人に対するあいさつ、鼻をかんだ人に送るあいさつなどもあります。
髪を切った人には「ナイーマン」と いうあいさつを送ります。
未来のことは「インシャー・アッラー」
イスラムの大切な教えに、「全てのことは神が決める」というものがあります。未来のことも神が決める。
だから未来のことを言う時は、必ず「インシャー・アッラー(神が望めば)」と付け加えなければならないと、聖典コーランに書かれています。
一見、きわめて他力本願的で無責任に思えますが、これは「人間の力には限界がある」という教えなのです。
「どんなにがんばっても、できないことがある」という人間の過信を戒める言葉です。
だから未来のことでヤキモキしても、イスラム教徒たちは「インシャー・アッラー(神様が望むなら)、なんとかなる」と必要以上に心配しません。
日本にもありますよね。「運を天にまかせる」。これを地でいくのがイスラム教徒たちなのです。
必要以上に力まない。それがいっしょにいて、とても心地よいのです。