「自分を甘やかす」ことができれば人生は何倍も楽になる
このところほとんど外出らしい外出ができません。コロナのせいというより、足首を捻挫してしまったからです。もう一ヶ月前ですが、捻挫というのは長引くものですね。まだ痛みがとれません。
やることといえば、歩いて1分のスーパーに行くくらい。普通なら1分で行けるところを2分かけて行きます。
床のふき掃除もできません。電気掃除機も重く感じてしまって、ついつい掃除もおっくうに。
以前は毎日1時間歩くのを日課にしていましたが、それもできない。
こうできないことばかりだと、だんだんと開き直ってきます。
できないことがたくさんあってもいいんだ、と。
掃除しなくても死ぬわけじゃありませんし、1時間歩かなくても困りません。
捻挫した当初は「早く治さなきゃ」と焦りがありましたが、「そのうち治るさ」とゆったり構えることにしました。
人体の治癒には必要な期間があります。
でも自然治癒力があるから、必ず治る時がくると。
それまでのんびり過ごせば良いやと。
そしてこの際だから、徹底的に自分を甘やかして暮らせばいいじゃんと。
ケガで知ったこと
ケガをしたおかげで、自分を甘やかすことを知るようになりました。
「〜しなければ」という気持ちを少しずつ減らすようにしました。
思えば、私たちは物心つくころから「~しなければならない」の中で生きています。
でも本当にしなければならにことは、それほど多くはありません。
生きる上で、やってはいけないのは犯罪くらいです。
家にいても
最初はほとんど外出できないことに焦りがありましたが、世の中の状況も状況ですし、外出できなくて不便はありません。
家の中にずっといても、やることはたくさんあります。
積読だった本を読む、原稿を書く、新しいヨガのポーズに挑戦する。
ヨガやストレッチの本をたくさん買い込んであって、今までめんどくさくてやらずにいたので良い機会です。
足首以外なら、いくら動かしても痛くはありません。
助けを借りるのは悪ではない
なるべく他人の助けを借りるようにしました。
幸い私の場合、週末は夫が買い物や料理をやってくれますので楽です。
最初は「悪いなあ」と思っていましたが、
人は他人を助けるために、そして夫婦は助け合うために存在しているのです(と都合よく考えるように。)
人と人とは、助け合うことで結びつきが強くなります。
後悔する必要はない
やってしまったことの後悔もしないようにしました。
最初は「ああ、もしあの時あの道を歩いていなければ、捻挫しなかったのに」と悔やむことしきりでしたが、
「この捻挫も何か意味があったんだ」と思うようにしました。
そうやって気持ちを楽な方にもっていく。
痛いのに無理して歩く必要もありません。
「苦労は勝手でもせよ」という言葉もありますが、意味のない苦労は単なる徒労です。
昔の人は「苦労すればそれだけ成長する」と言いたかったのかもませんが、成長が生きる目的なんて息がつまります。
人生は楽しむためにあります。苦行にはあまり意味はありません。
できればやらない方がいい。
こうして、なるべく自分が楽に生きられるように、自分の気持ちが楽になる方に、意識してもっていくようにする。
今はそれができる時です。
今誰もがやらなければならないことは、コロナにかからないこと、くらいです。
死なないように気をつければ、あとは好きなことをして生きれば良いと思います。