たった1人のキャンドルナイト*孤食のグルメ
たまに立ち話をする近所の奥様と、めずらしく少し長話をしました。話題は奥様のふだんの夕食作りについて。
彼女はワインがお好きなので、いつも夕食には自分用にワインに合うおかずを作り、ご主人は日本酒が好きなので、それに合うおかずを別にお作りになるそう。
「えー、めんどくさくないですか?」と言うと、それには答えず「わたし、一人の時はキャンドルともして優雅な雰囲気で食べるのよ。普段より念入りに料理して」とおっしゃるので、2度びっくり。
(うちと全然違う!)
私が一人なら、納豆ご飯とまではいかないものの、それに近い感じになる。
そればかりか、ふだんの食事ですら、いかに手抜きして手早く作るかばかり考えているのに。奥様の話に深く反省。
私がしみじみ心を奪われたのは、「一人の時こそ、キャンドルを灯して」の部分です。
そう言われてみれば、わかる気がいたします。
本当に食の美味しさを味わえるのは、一人の時なのでは?
誰かと一緒だと、相手に気を使わなければなりません。ずっと押し黙っているわけにはいかないし、気を利かせて、話題を提供したりなんか、しなければならない。
本当は、大好きな料理を口の中で味わうことだけに集中したいのに、会話にも気を遣う。
料理を作る場合も、一緒に食べる相手の好みを考慮しなければなりません。奥様はふだんお嬢様と一緒に夕食を召し上がるそうなので、自分の好みだけでなく、娘さんの好みも取り入れて作られるのでしょう。
そしてたまに1人の時こそ、自分が好きなものを、誰に気を使うことなく、心ゆくまで味わうことができる。
「食事は大勢で食べる方がいい」「みんなで食べる方が美味しい」と、いったい誰が決めたのでしょう?
たとえばインドネシアでは、家族はそれぞれ自分の都合に合った時間に食べます。
子供は学校から帰ってお腹が空いていたら、台所に行って、お皿にごはんとおかずをよそって食べる。奥さんは料理が終わったら、ついでにささっと食事をしたりする。ご主人は仕事から帰ったら、1人で食べる。
それが悪いことでしょうか?それぞれ空腹のタイミングも違います。
最近日本では「孤食」などと言われ、一人で食べることと孤独を結びつけようとしますが、人間そもそも1人で生まれ、一人で死んでいくもの。一人で食べることも、全くさげすむべきことではありません。
もちろん大勢で食べる楽しみもあります。食事をともにすることで、誰かとの間に、それまでにはなかったつながりが生まれたりもする。でもそれは、「味覚を味わう」とは、また別の次元の話ではないでしょうか?
以前鹿児島市の食堂に入った時のことが思い出されます。その店はトレーの上に自分で選んだおかずをのせて、勝手に好きな席について食べる、ごくごく庶民的な店でした。
私が食べていると、1人の70歳くらいの白髪のお婆さんが入ってきて席につき、ビール片手に実に美味しそうに食べ、食べ終わると、さっそうと席を立って店を出て行った。その姿が実にかっこよかった!(あの年代の女性は、1人で食べ物屋に入るのを恥ずかしがるのでは?)と勝手にイメージしていた私は驚きました。
食事って、誰かが隣にいなくても、楽しめるものなんですよね。
誰かと一緒でなくても、ぜんぜん恥ずかしくないものですよね。
ああ私もあんなお婆さんになりたい。