2024-08-04

シベルート島メンタワイ族と暮らした1週間③*宗教とジャングルの結婚

siberut island mentawai  シベルート島メンタワイ族ジャングルで竹を取る

ナタを手に木を切るバイ・マジャ。ジャングルでも裸足で歩く。

シベルート島メンタワイ族のウマでの3日目の朝を迎えました。
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夜明け前から降り出した大雨の音で目が覚めました。雨は7時くらいには止んだものの、おかげで洗濯物がなかなか乾きません。(川で洗濯します)。

女たち(バイ・サリバイ・マジャ)はこの日も、5時半に起きて奥の炉でサゴを焼いている。どこの世界でも、妻が夫より早起きなのはいっしょです。

私も同じくらいに起きて、自分でいれたコーヒーを片手に、バイ・マジャがサゴを焼くのを眺めます。いつもくわえタバコでサゴを焼く気の強そうなバイ・サリより、バイ・マジャの方がいっしょにいて気楽なのです(バイ・サリ、ごめんなさい!)。

バイ・マジャは私を見るときまって「サゴ食べる?」とおっとりとした口調で聞いてくれますが、起きたばかりでサゴは食べられません。

竹を取りにジャングルへ

siberut-mentawai-jangle シベルート島メンタワイ族ジャングルで竹をとる

サゴとタロ、牛肉の朝ごはんをいただいた後、バイ・マジャに付いてジャングルへ。竹をとりに行きます。

メンタワイ族の暮らしにとって竹は日々の暮らしに欠かせないもの。主食のサゴは竹の中に入れて料理するし、肉や魚もこの中に入れて蒸し焼きにします。竹は燃料にもなります。

siberut island mentawai  シベルート島メンタワイ族ジャングルで竹を取る

家族の知人カンポンおじさんの奥さん、カンポンおばさんもいっしょ。

竹をナタで切り倒し、表面のがさがさをナタでスムーズにし、運びやすい長さにカットする。すべて素手で行います。

siberut island mentawai  シベルート島メンタワイ族ジャングルで竹を取る

竹は太いものの中に細いものを入れて運ぶ。

それをカゴに詰め、かついで運びます。しょってみましたが、腰を痛めないか心配になってしまうくらいの重さ。これをかついで、ジャングルのぬかるみ道をスタスタ歩いて行く。私など時々ズボッとぬかるみに足を取られ、ひっくり返りそうになりながら、彼女の後をついて行くのがやっとです。

まもなくまた雨が降り出し、リュックに入れておいたカッパを羽織ります。ジャングルではカッパは必須。いつ雨が降るかわからないからです。もちろんメンタワイ族はカッパも傘も持っていませんが、ヤワな町の人間は雨に弱い。カメラやスマホが濡れてしまいます。

この後寄ったのは、切り倒されたサゴヤシがある場所。タムラというサゴカブトムシの幼虫がヤシの木にすみついているのです。これがメンタワイ族の大好物。そして大切なタンパク源です。

シベルート島メンタワイ族の食事 siberut-mentawai-food

どうやらかんポンおばさんはタムラがお目当てだったよう。ウマに帰ってからみんなで分けるのかと思ったら、一人でぺろっと食べてしまいました。私はさすがに生きたままの「それ」を食べる気にはなりませんでしたが、後で思い切ってグリルしたものを食べてみたら、香ばしくなかなかの美味でした。

妻は2人

ウマに帰って蒸したバナナをいただき、そのあと一時間もしないうちにナシゴレンの昼食となりました。

siberut island mentawai food  シベルート島メンタワイ族の食事

右がカンポンおじさん。カンポンとはインドネシア語で村のこと。村に住んでいるからカンポンおじさんと私が勝手に呼んでいる。

食事時やお茶の時間、いつも雑談の中心は、家族の知り合いのカンポンおじさんです(写真右)。実によくしゃべる人で、ふだんは政府がつくった村に住んでいるそう。メンタワイ族ですが、口調やノリがいかにもインドネシア的というかムスリム的。私に「何歳?」「子供は何人?」とズケズケきいてきます。ウマの家族たちは、そういう話はあまりしません。

子供がいないというと、「どうして子供がいないんだ?」「俺なんて、13人も子供がいるぞ!」‥。彼はカトリックだそうですが、奥さんが2人いるそう。「カトリックは奥さんが2人いてもいいの?」ときくと、「いいんだ!」と当然のように言います。「(イスラムの開祖)ムハンマドなんて、40人の妻がいたんだから!」とはちゃめちゃな自論を展開します。

メンタワイ族の宗教

シベルート島メンタワイ族siberut mentawai

左からカンポンおじさん、アマン・サリの末息子。息子はインドネシアのムスリムではよくある「ファウジ」という名前。右のアマン・サリはイケメンかつ6人の子どもの父親。年はおそらく40歳くらい。

家族は戸籍上はムスリムです。1950年のインドネシアの独立以後、昔から信仰してきたアニミズムは禁止され、キリスト教かイスラムのどちらかに改宗しなければなりませんでした。今では島の人口の半分がプロテスタント、16%がカトリック、13%がムスリムです。

アニミズムが禁止されるとともに森の中のウマを離れて政府の村に住むことを余儀なくされ、男性の長髪やふんどし、歯を研ぐこと(美的目的)、体の入れ墨なども禁止されました。この家族のように、そういった政策を逃れて今もジャングル奥地に暮らしている人たちもいますが、多くはありません。

ジャングルでの結婚

siberut-mentawai-man シベルート島メンタワイ族の男性

アマン・マジャは、ウマにいる時はいつもイスに座って遠くを眺めている。静かに鼻歌を口ずさみながら。本人は意識しているのか、いないのか‥。

メンタワイ族も今は政府が発行するIDを持っていて、信仰する宗教や年齢などが記されています。しかしそれはあくまで便宜上のもの。アマン・マジャもアマン・サリも自分の本当の年は知りません。でも意外にというか、結婚は恋愛結婚でした(同じ部族や親戚同士の見合い結婚かと想像していました)。

アマン・マジャは村に行った時にバイ・マジャを見初め、彼女のお母さんと話をして了解を得て結婚。ブタやニワトリをたくさんあげたそうです。彼の長女はすでに結婚し、子供が一人。パダンに暮らしています。だからバイ・マジャはまだあどけなさが残るけれど、おばあさん。たぶん年齢は40歳くらい。アマン・マジャは45歳くらいでしょう。

アマン・サリは港でバイ・サリと知り合って意気投合。しばしの交際をへて結婚。「ガールフレンドみたいなものだね」とアマン・サリ。奥さんの年は知りませんが、「でも自分の方が年上なのはわかる。彼女と結婚した時、次女のマリアンティ(16歳)くらいだったから」。長女が今18歳だから、アマン・サリは今たぶん40歳くらいでしょうか。

タバコと病院

siberut-mentawai-tamra シベルート島メンタワイ族

体調がすぐれない母親に、ジャングルでとれた薬草を調合した薬を飲ませるアマン・マジャ。

長男アマン・マジャが45歳くらいだとすると、お母さんはたぶん65~70歳くらいでしょう。彼女は体調をくずしていて、始終咳き込んでおり、アマン・マジャやサラ姉さんが、1日に数回薬草を体にぬってあげたり、薬草を調合したものを飲ませたりしています。かつてはかなりのヘビースモーカーだったそう。今はタバコはすいませんが。

そういった涙ぐましい努力にかかわらず、お母さんの体調がよくなるようには見えない。失礼ながら、(薬草なんて効果あるのか?)と思ってしまうのですが。「病院に連れて行った?」と聞くと、「お金がないから」とアマン・サリ。

内心私は(うーん、本当?)。彼らが吸うタバコは1箱260円ほどで、1日に一箱は吸う。ツケで買っているそうですが、少なくない金額です。島にある(おそらく)政府の病院の治療費がそれより高いとは思えません。現代医療を信用していないのかも。

siberut island mentawai uma シベルート島メンタワイ族のウマ

蚊がいるので、床下で火をたく。しかしメンタワイ族によれば、ジャングルにはマラリアはないという。

大人の女性でタバコを吸わないのは、バイ・マジャだけです。女性たちにはしばしば「タバコ持ってない?」と聞かれました。(アマン・サリに1カートン買ったんだけど‥)と喉元まで出かかった言葉を、グッと飲み込みます。あのタバコはいったいどこに‥?

ともかく今度来る時は、自分用にもタバコを持っておき、求められたらさっと差し出し、ライターで火をつけてあげるくらいしてあげないと。

午後2時。またしとしとと雨が降り出しました。夕方はニワトリの世話をするリリ姉さんと川の対岸へ。夕食はココナツをまぶしたサゴと竹の中で蒸した魚をいただきました。

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