シベルート島メンタワイ族と暮らした1週間⑤*ジャングルの学校やパダンの薄給
メンタワイ族のウマでの滞在も終わりに近づいてきました。今日もごはんと牛肉の朝ごはん(もう何回食べたことか‥)を食べた後は、家族そろってのんびり雑談。日本のお父さんならネクタイ締めて会社に出かける時間、アマン・サリもアマン・マジャもゆったりタバコをふかしながら、話に夢中になっている。毎日毎日、よくそんなに話すことがあるものです。
メンタワイ族の今
この日の話題は「学校は金がかかる」でした。靴、服、ノートなど、色々なものにお金がかかる。ジャングルの学校は公立で、授業料は無料です。でも靴や服、ノートは自前。アマン・サリのように子どもが6人もいたら、それはそれは大変です。
(無理して通わせなくてもいいのに)とよそ者の私は思ったりしますが、アマン・サリは「自分のようにジャングルでずっと暮らしていくなら学校に行く必要はないけど、今は時代が変わっている。だから学校に行った方がいい。子どもたちも学校に行きたがっている。その方が外の人とコミュニケーションが取れるし」。もっともです。
シベルート島に限れば、どんなにジャングルの奥地でも、子どもたちは学校に通っています。国土の隅々までインドネシア化するという政府の企みは、この島でもしっかり遂行されていて、ジャングルのかなり奥地にまで政府がつくった村があり、学校がある。
学校に行っているので子どもたちや若者はみんな簡単なインドネシア語は話せます。女性も含めて服を着ている。メンタワイ独自の刺青もしていません。
「伝統的な生活を送っている」と最初にこの家族について書きましたが、たしかに一面ではそうなのですが、実際のかなりの部分、生活は普通のインドネシア人と大差ないかもしれません。
夜には各自がヘッドランプで明かりを灯します。ウマの横にソーラーパネルがあり、それで充電し、ウマの室内を照らす。食事に使う器やコップは、インドネシアの食堂などでよく見かけるプラスティック製です。大人も子どももコーヒー・紅茶が大好きで、それには砂糖をたっぷり入れる。
これは他のジャングルに暮らすメンタワイ族も同様でしょう。この点、彼らには失礼ながら、「ジャングルの奥地に暮らす原住民」の幻想を追い求めてきた私にとっては、ちょっとだけがっかりではありました。もちろん町に住む現代人のワガママでしかありませんが。
人間の暮らしに変化はつきもの。私たちだって便利な方がいい。ごはんもヌードルも食べたい。メンタワイ族も同じです。
カンポンおじさんの居候
雑談が終わり、リリとジャングルへ竹を取りに行きます。ナタで竹を切り倒し、運びやすいよう短く切っていくリリを眺めながら雑談。話題はいつしか、カンポンおじさん・おばさんの話になりました。
おじさんが以前「おれには妻が2人、子供が13人いる」と豪語していたのは、あながちウソではないらしい。そしておじさん夫婦の出会いは不倫でした。
おじさんは元妻との間に子どもが7人、おばさんにはメンタワイ族の元夫との間に子どもが6人いましたが、2人は出会って恋に落ちた。おばさんは元夫と別れ、おじさんと一緒に。
おじさんは元の奥さんに「妻がもう1人いてもいい?」ときくと、答えは当然ながらノー。奥さんは怒って家を出て行ってしまった。子どもたちも母親について行ったという顛末。
それはいいとして、問題は2人がお金等を全く払わないこと。米やコーヒーを持ってくるわけでもありません。「私たちのファミリーではないのに」とリリ。
彼らはガイドとツーリストについて来たのが最初で、今まで5回ウマに滞在したことがあり、いつも同じ。さらに今回はこれから4ヶ月ウマにいるつもりだそう。う〜ん、かなり図々しいかも。
彼にとってウマはとても居心地の良い場所なのでしょう。わかります。家族たちの人柄なのか、ウマにいると、私もついつい家族の1員みたいに錯覚してしまいます。(ちゃんとお金は払いますが)
「ここはツーリストがたくさんきて、米が食べれて、コーヒーや紅茶が飲めるからいいところだと思ってるのよ」。「でもたぶんアマン・マジャとアマン・サリが彼と(今後のことについて)話をするわ」。こういう折衝はやはり男性がやるのですね。
追い返してもいいようなものですが、リリ曰く「犬とは違うから。人間でしょ」。
後でアマン・サリにそれとなく聞くと、ぽつりと「うーん‥でも彼は色々助けてくれるし」とおじさんのことをそれほど悪くは思っていないようす。この家族は本当に人がいいのです。
パダンの薄給
夕食はリリがジャングルでとってきた野菜のココナツスープを作ります。彼女が作るのはいつも、スパイスを多用した辛めの料理。ミナンカバウ料理だそう。メンタワイ料理はそれほど辛くありません。聞けば彼女はパダンのレストランで2年間働いていたことがあるのです。
しかしその労働条件は、それはそれは聞くに耐えないものでした。仕事は朝4時から夜11時まで。お茶を飲むのはコップ1杯だけ、12時と決められていて、食事は12時と8時の2回だけ。休日はなし。これで月収は400,000ルピア(約4000円)と聞いて思わず愕然。私なら、きっと1日で逃げ出すかも‥。
どうして仕事をやめたのかと聞くと、「お母さんがもう年だから」。なぜパダンで働いたのか理由は聞かなかったけれど、おそらく家族の暮らしを助けるためか、町の暮らしに憧れて、とかではないでしょうか。
今日もごはんとリリが作った辛いおかずの夕食を囲み、家族と雑談しつつ幸せな時間を過ごしました。