『砂漠のサイーダさん』出版で渡部さとるさんと対談
「砂漠のサイーダさん」の出版を記念し、写真家の渡部さとるさんとトークショーを行いました。その内容をご報告いたします。
はじめてのインドネシア旅行
(渡部)僕が最初にサイーダの写真を常見さんからみせられたとき、とてもびっくりしたんです。というのも、常見さんはとてもおしとやかな感じて、砂漠に行って遊牧民の写真を撮るようには見えない。いったいサイーダさんとどうやって知り合ったのか、どうやってコミュニケーションをとってるのか、不思議だったんだけど。
常見さんは、サラリーマン生活の後に写真家になったんですよね。なぜ、突然写真をやろうと思ったんですか?
(常見)大学時代から旅行にいって写真を撮ったりしていました。一番最初の海外はアメリカだったんですけど、その後、最初の一人旅がインドネシアだったんです。大学を休学して半年行きました。
(渡部)なぜ、インドネシアだったんですか?
(常見)大学時代に村井吉敬先生というインドネシアご専門の方がいらして、その先生の授業がとてもおもしろかった。それに感化されて、インドネシアに行ってみたいなと思ったんです。インドネシアにはたくさんの島があるんですけど、スマトラ島とかスラウェシとか、おもっだった島を船で回りました。
(渡部)インドネシアへ女性一人でいくなんて、当時としてはめずらしいですよね。 コミュニケーションはどうしてたんですか?
(常見)大学でインドネシア語を少し習っていましたので・・・。
(渡部)じゃ、そのときから、わりと海外に行くことの抵抗はなかったんですね。そのときに写真も撮ってたんですか?
(常見)そうですね。そのころから書いたり、写真を撮ったり何かを表現する仕事に興味があったんですけど、就職がうまくいかなくて保険会社に就職しました。
(渡部)驚くのは、常見さんはその後、会社を辞めて海外へ行く。タイから陸路で西へ向かったそうなんですが・・・当時ミャンマーって、入りずらかったですよね?
(常見)そうですね。ミャンマーへは陸路でなく、飛行機で入国したと思います。
(渡部)それから中東の方まで陸路で行ったんですか?
(常見)基本的には陸路で、それができないときは飛行機で行きました。
(渡部)何か影響があったんですか? 沢木耕太郎を読んでとか?
(常見)海外を旅して、自分の写真のテーマを見つけたかったんです。自分の目で見てみたい。若いうちに、広い世界を見てみたいという気持ちもありました。
(渡部)それは、見つけるような感じだったんですか?どこが自分といちばんフィットするかという。。。
(常見)そうですね。
(渡部)その10ヶ月後にエジプトにたどり着くわけですよね。
(常見)ついたその日に「あ、ここに住んでみたいな」と思いました。
(渡部)でも、10ヶ月海外にいたら、ふつうは帰りたくなるもんじゃないですか。
(常見)旅はもういいな、という気持ちはありました。変わりに、どこか一カ所に落ち着いて、旅とは違うことをやりたいなという気持ちが芽生えつつあったんだと思います。そのとき、たまたまエジプトに出会ってしまったといいますか・・
(渡部)なんか、常見さんは、見かけとやることのギャップがすごいですね。
エジプト留学
(渡部)そこでカイロでアラビア語を勉強する?
(常見)はい。現地の語学学校に通いました。
(渡部)一年間?
(常見)はい。エジプトにいたのは一年間なんですが、学校に通っていたのはそのうち3ヶ月くらいで、あとは知り合った人の家に遊びに行ったり、写真を撮ったりしていました。
(渡部) そのときに、だいたいのアラビア語はマスターしていたんですか?
(常見) まあ、日常会話程度は・・・。
(渡部) それで帰国して・・・ でもエジプトへの思いは強かったんですか?
(常見) そうですね。これからエジプトを撮っていこうと思って、ある知人に相談したところ、「中東をやっていくんだったら、パレスチナとか行かないと商売にならないよ」っていわれて、最初しばらくパレスチナを取材していました。イスラエルに土地を追われるパレスチナ人などを取材して、週刊誌に発表したりしていましたが、だんだんと「これは、本当に自分のやりたいことなんだろうか」という気持ちが強くなってきました・・・
(渡部) パレスチナを取材しながら、本当に自分のやりたいことと違うと思い始めたーそれは具体的にいうと、どんな感じだったんですか?
(常見)イスラエルの兵士に土地を追われるパレスチナ人などを取材して雑誌に発表したりしていましたが、まず、そういった事件を取材するよりも、もっと人びとの日々の営みとか文化みたいなものを取材したいと思いました。事件を取材するには、機動力や瞬発力も必要になる。自分はもともと、トロいので、それよりはじっくりとある対象と向き合って取材をする方が合っていると思ったんです。
パレスチナで長く取材しているジャーナリストの人に「(私が取材したパレスチナの人と)、あなたはどのくらい一緒にいたの?」ときかれました。私はたった数日間彼らと一緒にいて、写真を撮って発表している。その人にとっては、そんな短期間で何がわかるのか、といいたかったのかもしれない。
また悪を告発するような仕事も、社会的にとても意味のあることだと思うんですが、自分は、もっと頑張っている人とか光っている人とか、何かプラスのイメージを持っている人やものを取材したいと強く思ったんです。
(渡部)中東には、何かこだわりがあったんですか?
(常見)10ヶ月放浪したとき、エジプトにたどりつくまでに、イランとかトルコとかイスラム圏をずっと旅してきたわけなんですが、宗教が生活に根付いているせいもあって、人も穏やかで治安がよく、イスラムの国っていいなあと思うようになっていました。日本で伝えられているイスラムとか、中東のイメージとずいぶん違っていて、驚いた記憶があります。そして、イスラムや、それを信仰している中東の国の人びとに興味をひかれるようになっていったんです。
(渡部)わかりますね。僕もイスラムの国に行くことがこれまで多かったんですけど、日本でテレビとかの報道で耳にするイスラムって、すごくとっぴな宗教って気がするけど、現地にいくと、すごく良い宗教というか、洗練された宗教っていう気がします。報道されているイメージとは、だいぶ違うというか・・・。とても非常に優しい人がおおいですよね。
(常見)それで、中東の写真をとるためには、アラビア語が話せるようになった方がいいと思って、そのためもあり、カイロでアラビア語を勉強しました。
最初の写真展
(渡部)99年にコニカプラザのフォトプレミオの新人賞を受賞されるんですけど、
このWelcome to Cairo! というシリーズは、いつ撮ったんですか。
(常見)日本に帰ったあと、エジプトに通いながら撮りました。
(渡部) どのくらいの頻度で通っていたんですか?
(常見) 年に1,2回だったと思います。
(渡部) これまで何回くらいエジプトに行っているんですか?
(常見) 数えたことはありませんが、十数回はいっていると思います。
(渡部) 一回行くとどのくらいいるんですか?
(常見) 一回は短いときで2週間くらい。長いときは・・・遊牧民の取材のとき、半年間ハルガダに住んでいたこともあります。
(渡部) ということは、延べにすると、もう年単位でエジプトにいるってことになりますね。
(常見)そういうことになるのかな・・・。
遊牧民サイーダとの出会い
渡部:その後でサイーダさんのシリーズをはじめたのですか?
常見:はじめたのは2003年なので、最初の写真展から少し時間があいています。
渡部:サイーダさんと知り合ったきっかけって何だったんですか?
常見:遊牧民に興味があって、いろんな本を読みあさっているうちに、エジプトの遊牧民、このサイーダさんの属している部族であるホシュマン族の人について書かれた本を見つけたんです。読んだらすごく面白かった。単に遊牧民の細々とした生活の説明だけでなく、彼らの生活がいかに自然と調和し、環境を大切にしているかという、環境問題というスタンスの中で書かれているのが、とても興味深かったのです。
インターネットで著者であるアメリカ人の教授のHPを見つけて、メールアドレスが書いてあったので、私も彼らに会いたいとメールしました。
といっても、どこの馬の骨ともわからない人物からメールが来ても、相手は不審がって返事をくれないかもと思って、それはそれは気合いを入れて文章を考えました。著作のどこにどう感動したか、なぜ遊牧民に会いたいか、など。それを帰国子女の友だちに英訳してもらいました。
返事はすぐに来て。「エジプトのハルガダに部族長の誰それが住んでいるから、その人をたずねたらいい」って書いてありました。
渡部:ほー、それはすごいですね。なんか常見さんって、突飛な行動力があるというか・・・。
(聴衆の一人(知人)) 外見と違ってておもしろいですよねえ・・・
(とぼそぼそと発言)。
渡部: それで、部族長に会って、サイーダさんを紹介してもらったんですか?
どうでした、最初の印象は?
常見:とてもたくましい大柄な女性を想像してたんですけど、身長140センチくらいで、とても小さなおばさんで、驚きました。「このちっちゃなおばさんが、あの巨大なラクダを7頭も連れている!」って、とても最初は信じられませんでした。
渡部:まだ子どもと一緒だったんですよね。
話してみて、どうだったんですか?
常見:すごく自分の生き方に誇りとかプライドを持っているんです。「砂漠じゃ、何でも自分でやるから健康なんだ」っていう。「パンを焼くのも水をくむのも全部自分でやるから。でも町のマダムはパンはパン屋で買ってくるし、出来合いの料理なんかを買ってくるし、後は昼寝ばっかりしてるから、ぶくぶく太って・・・」とか。
渡部:サイーダさんも、自分も町の暮らしを選択できるのに、それをあえてやらずに砂漠にいるということは、サイーダさんにとっては砂漠の方が心地良いんですかね。
常見:そうですね。「町は人は車がいっぱいで。自由に動き回れない。砂漠ではどこに行こうと、どこで寝ようと自分の勝手」といいます。「町は泥棒がいっぱい。でも砂漠では良い人ばかり」とか。
昔から砂漠に暮らしてきたサイーダさんにとっては、砂漠は安全でとても快適な場所。一方で町は汚いし、怖いし、夜はうるさくてよく眠れないという・・・・。
自分とはまったく違う価値観に驚きました。私だったら、だだっ広い砂漠で一人で寝るなんて、怖いし、砂漠に一人で暮らすなんて、想像するだけで恐ろしいですが・・・。
渡部:写真で見るサイーダさんて、ひょうきんですよね。ジョークの好きな方に見えるんですけど。常見さんが来てくれることに、喜んでるんじゃないですか。
常見: 最初のうちは喜んでましたが、何度も通うと「また来たのか」って感じになりますね。
(一同大爆笑)
いつも写真を撮るので、なんで、そんなにたくさん撮るんだとはいいませんが、遠回しに「フジヨは写真ばかりとってるから、ラクダがおこってるよ」とかいいます。
渡部:そうですねー。たいていはそういわれますよねえ。一人で生きることのストレスとかないんでしょうか?ラクダがいるから寂しくないのかな。ラクダの写真を見て喜ぶという話がありましたが、あれは自分の子どもの写真を見て喜ぶという感覚に近いんでしょうか?
常見:うーん、遊牧民にとってラクダってすごく貴重なものです。昔はラクダのミルクがあれば、一週間何も食べなくても平気だったそう。水代わりにもなります。ラクダには大量の荷物を積むことができるし、重い水を積める。ラクダは暑い日をのぞけば、あまり水を飲まなくても大丈夫だから、ラクダに乗って砂漠の奥深くまで行ける。
そういったメリットだけでなく、ラクダは愛着の対象でもあるみたいです。ラクダの考えていることはよくわかるし、喉が渇いているか、お腹が好いているか、ラクダがどっちの方向に行きたがっているか、嬉しいとか、怒っているとか、サイーダさんは、とても敏感に感じ取っています。家族のよう、というか、もしかしたら家族以上の存在なのかも知れません。
渡部:砂漠では、毎日同じような暮らしが続くわけですよね。
それを何週間も一緒にいながらくりかえすんですか。
常見:そうですね。最初のうちは、砂漠暮らしも、ワクワクドキドキって感じだったんですけど、やっぱり何度もいっているうちに、あきてくるというか・・・それほど劇的なことが毎日起こるわけではないですから。ああ、早く町に帰りたいな~なんて考えたりします。でも、サイーダさんはラクダの世話があるし、ラクダの様子を見ていれば退屈しないから、退屈なんて、一度も思ったことはないんでしょう。
渡部:テントもないし、夜露もあるし、だんだん体力が消耗してきたりとかないんですか?
常見:そうですね。1週間とか10日とか一緒にいると、最後の方は疲れが出てきます。町に帰ると熱が出たりして。
渡部:長いときはどのくらい一緒にいるんですか?
常見:今までいちばん長いときで、20日間くらいですね。
渡部:そのくらいが 限度というのがあるんですか?
常見:そうですね。サイーダさんも、あんまり一緒にいられると疲れるというか。町から運んでくる食料も、そんなにたくさん持ってこれるわけではないですし。
渡部:たまにくると嬉しいけど、ずーっと 一緒にいられても困るなってかんじですかね。
常見:そうですね。
渡部:そのときは、自分もシェラフに寝たりするんですか?
常見:砂の上にシートをひいて、その上に寝袋をしいて寝ます。
渡部:20日間、お風呂はどうしていたんですか?
常見:1回水浴びした程度ですね。泉で。
乾燥してるので、あまり不快感はありません。さすがに頭はかゆくなってきますけど。
質問
(1)伝えたいことは?
男性1:僕は、コニカミノルタで常見さんの写真展を拝見しました。実は来た目的は違う写真展を見るためだったんですが、常見さんの展示をみて、とてもユニークで、時間を忘れて見入ってしまいました。そもそも何を感じられたんですか? というか、何を伝えたいと思っているのですか?
常見:サイーダさんと暮らして、印象的だったことはたくさんあるんですが、ひとつは、電気も水道もないところにいて、あんなに快適に楽しく暮らしていけるんだなあということです。自然と直に接しながら生きている人の持つ知恵、ナイーブな感性にも、とても感銘を受けました。人生にとても大切なことで、でも私たちが忘れてしまっていることを、砂漠にいくと思い出させられる。そういうことを知って、伝えたいと思いました。それによって、もし私たちが、生きる上で本当に大切なことってなんだろう、本当の幸せってなんだろう、そんなことを考えるきっかけになったらいいななあと思いました。
女性1:料理なんですけど、家畜の糞を燃料に使ったりするそうですが、かまどはその都度つくってらっしゃるんですか?
常見:そうですね。移動するごとに、ある場所に荷物をおろしたら、そこでまずかまどをつくります。風よけの石と鍋を置く石を周囲から拾ってきて・・・。
(女性1)持ち歩くんじゃなくて、拾うんですか?
常見:そうです。
(女性1)じゃ、そのたびに常見さんは、一緒に料理したりして、足跡の見分け方とか、料理の仕方とかを習ったんですか?
常見:習ったんですけど、写真を撮る方が忙しくて(苦笑)、ふだんはあまりやりません。
(2)撮影スタイルについて
(男性2) 撮影スタイルは、デジタルとかカメラ何台くらい持っていくんですか?
常見:サイーダさんを撮り始めた頃は、フィルムカメラがメインで一台、後故障したときのためにサブでもう一台持っていきます。フィルムは10本くらいですね。
渡部:それは少ないですね。でも、そんなにガシャガシャとるようなところでもないですね。
常見:そうですね。毎日そんなに劇的なシーンがあるわけでもないですし。
よく雑誌の編集者に写真を見せると、「もっと他にもたくさん写真があるんでしょ」と言われることが多くて、こまってしまうんです。5年も6年も行っていたら、膨大な量のフィルムがあるって、普通は考えるんでしょうね。でも私はもともとそんなにたくさん写真をとる方じゃないんです。それにフィルムを現像するのも、環境によくないわけですし……(汗)
(男性2)荷物はどのくらいになるんですか?
常見:このくらい(幅50センチくらいのスーツケース)に着替えとか、寝袋とかつめていきます。
渡部:あとの荷物はホテルに預けていくわけですね。
常見:そうです。砂漠に持っていく荷物以外は、ホテルのフロントに預けていきます。
砂漠で使う荷物は、日本に帰るときは、町に住んでいる知り合いの遊牧民のところに預けて行きます。ハルガダという町なんですけど、そこに来て砂漠に行くときは、彼女のところにいって、荷物を受け取り、砂漠から帰ってきたら、また彼女に預かってもらいます。
(男性2)水とか持っていくんですか?
常見:水は泉の水を飲んでいます。おいしいですよ。お腹を壊したこともありません。
(3)サイーダと心を通わせるために
(女性)
サイーダさんと心を通わせるために苦労したこととか、努力した点はありますか?
(常見)撮った写真は、必ず次に行くときに持っていったり、申しわけ程度ですけど、枯木を拾ったりラクダの糞を拾ったりするのを手伝ったりとか・・。
食べた皿は、サイーダさんにばかり洗わせるのではなく、自分でもなるべく洗うようにしたり。
サイーダさんの好物を覚えておいて、町からいくときは、それを買っていくとか。
すごく思い出深いエピソードがあります。ある日サイーダさんがラクダのところに行ったまま夜遅くまでキャンプに帰ってこない日がありました。私はどうしよかなと思いつつ、自分で夕食のパンを焼いてみたんです。
砂漠でふだん食べるパンは、ゴルスといって、灰の中にパン生地を入れて焼くものです。私はそれまで、サイーダさんがつくるのを見てばかりで、自分でつくったことがなかった。でも、その日、思い切ってつくってみたんです。そしたら、サイーダさんはすごく喜んで・・・。車で迎えに来た男性に、すごく嬉しそうにその話をしていて、相当嬉しかったんだなと思います。つくって良かったなと思いました。
その話は、遊牧民の間中に広まって、会う人ごとに「フジヨはゴルスをつくったんだって」といわれました。」
でも、それ以外、これといって、心を通わせるために特別なことを何かやったかというと、自分としては、すぐには思い浮かびません。
サイーダさんと同じものを食べて、同じ生活スタイルをして、向こうが話をしているときには、ちゃんと話をきく・・・ごくごく当たり前のことしか、やってこなかったような気がします。それで、何度も行っても文句も言わずに今のところ受け入れてもらえているのは、相手の度量が広いというか。一方で、まあ、来てしまったのだから、追い返すわけにもいかないし・・・とかそういう気持ちもあるのかもしれません。
(4)謝礼など
「男性)生々しい質問なんですけど、自分の食料を確保していってるわけではないですよね? サイーダさんをつくったものをいただくわけじゃないですか? 謝礼をくれとかそういう話にならないんですか?
常見:はい。それは帰るときに少し謝礼を渡したりしています。
渡部:なかなかそれは難しい問題ですよね。以前、NHKのやらせが問題になったことがありましたよね。ムスタンでお金を払って取材させたとか、たたかれたことがありますけど、。
報道の場合、あるシーンは一回かぎりで、それをもう一度再現するのって、基本的には不可能ですよね。でも祭りとか、ある儀式とかを取材しなければならない。お金を払ってやらせるというのが、どこまでゆるされるというのは、とても難しいところがあって・・・。サイーダさん自身としては、ジャーナリストとして常見さんを迎えている訳ではないですから、それは難しい問題ですよね。
常見:そうですね。お金を渡すというのは、情報をお金で買っているような気がして、嫌な気がするのも確かなんですけど、一方でお世話になったからには、何らかの形でお返ししたいって思う。それは何がいいかというと、下手なものをあげるよりも、お金が一番よかったりするんです。
それまでお土産にいろんなものを持っていったりしたんですけど、あまり喜ばれなかったんですよね。ある時は缶切りだったり、ある時は懐中電灯だったり、小さなポケットに入るくらいのコーランだったり、ハンカチだったり、望遠鏡だったり
でも、その後サイーダさんがそれを使っているかというと、必ずしも使っていないようなんです。こちらがあれば便利だろうと思ってあげても、相手にとってはそうでもなかったり。サイーダさん自身は、懐中電灯なんかなくても、それまで砂漠で快適に暮らしてきたわけなんです。
だったら、お金を渡せば自分で好きなものが買える。
それに、事実、サイーダさんにお金を渡せばとても喜びますし。お礼はしたほうがいいんだなと思います。
そのときの様子は、こちらのブログでどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/people_of_the_sun/archives/51505419.html#comments