トゥルトゥク村<北インド>*小さなコミュニティが持つ豊かさ
インド北部の小さな村トゥルトゥクに滞在しました。トゥルトゥクは外国人が入域できるエリアではインド最北端。パキスタンとの停戦ラインから10kmの場所にあります。パキスタン北部までまたがるバルティスタンという地域にあり、住民はイスラム教徒のバルティ人。人口は3千人ほどです。
家を新築したら村人全員を招待する
この村に滞在していた時、家の新築パーティに招かれる機会がありました。招かれたといっても、たまたま食事を作るテントの前を通りかかり、中をのぞいたらお茶や食事に誘われたまでのこと。村人は外国人やよそ者にもとてもウェルカムなのです。
トゥルトゥク村では家を新築するとパーティを開き、村民の全員を招待するそうです。招待には招待状を出すわけではなく、知り合い10人くらいに伝達すると、その日のうちに村人たちのネットワークで村民全員に伝わるそう。そして一家のうち必ず一人はパーティに参加することになっています。
パーティは歌や踊りがあるわけではなく、食べて話すだけ。この日は前の晩から開かれたパーティの続きでした。テントのを中では女性たちが朝から揚げパンを作っていました。マスタードオイルで上げたチャパティです。この日は朝5時半から集まって作っていたそうです。
大きな鍋の中ではチキンがぐつぐつと煮込まれていました。南部は村のモスクから借りてきたものだそうです。
料理をかき混ぜるのが板キレというのが、なんとも微笑ましいですね。調理している人たちは隣人や知人で全くのボランティア。結婚式など集まりごとがあれば、こうして村民同士率先して集まってきます。
村の宗教指導者によるコーランの詠唱
家の方に「ぜひ家の中も見てくれ」というので上がらせていただきました。とても広い室内。そして家の中には始終たくさんの人が出入りしています。こういう自分の家を他人にオープンにする習慣は日本にはないから面白いですね。9時半くらいから村の宗教指導者によるコーランの詠唱が始まりました。内容はこの家が末永く幸せであるようにというもの。
中央には儀式に必要なもの一式が置かれます。アプリコットオイル、自家製のバター、ミルク、水。どれも自家製。
コーランの詠唱の後、食事がふるまわれます。
料理は、ダルとサブジ(野菜の煮込み)、ターメリックで煮込んだチキンです。
手から手へ料理が盛られた皿をバトンタッチ。
真の豊かさとは?
その家の息子さんと話をしました。「ここでは村民みんなのつながりがすごく強いんです」と彼。「本当の意味での豊かさがあるんです」。
パーティは家を新築した時だけでなく、どの家も年に1度は開いて村民全員を招待するそうです。だからしょっちゅう誰かの家に食事に呼ばれていることになる。こうして村民同士のつながりが強くなっていく。こういう習慣はバルティの習慣というより、ヒマラヤの小さな村や、この地域の小さな村の習慣だそうです。自然環境が厳しいところでは、村民たちが協力し合わないと生きていけないからです。
それにしてもパーティを開く金銭的負担は小さくはないはず。
ー貧しい人はどうしたらいいんですか?と息子さんに聞くと、
「この村に貧しい人はいないんです。貧富の差はほとんどありません。みんな畑を持っているし、ほぼ自給自足だから」
畑仕事のほか、政府関係の仕事などで収入を得ているとのこと。ホテルが増えていますが、ホテル同士の競争などはないそうです。というのも、ホテルが主な収入源ではないからでしょう。
たしかにたいていの家に畑があり、キャベツ、にんじん、青菜、タマネギなどが植えられています。また村で特に豊かだなと思うのは水です。水路がこまかく張り巡らされ、家の外にはいつも山からの水が流れている。飲んでも美味しい。
いつでも自分の畑からとれる新鮮な野菜・果物、そしてきれいな水。これらは確かに豊かさの1要素ではあるでしょう。
でも息子さんが意味する「本当の意味の豊かさ」は、もっと別のところにあると思います。それは「小さなコミュニティ」です。顔が見える人たちに囲まれて暮らすこと。いざとなれば家族のように助け合える関係にある人たち。そういう人たちに囲まれて暮らす安心感と心の平穏。そして折に触れてつながりを強める機会があること。家の中をオープンにできるのも、そんな関係があるからに違いありません。
村はとても不便な場所にあり、ラダック地区の中心レーからのバスはなく、村への交通はシェアタクシーのみ。冬の寒さは厳しく積雪も深い。しかしどんなに冬の寒さが厳しくても、不便な場所にあっても、それを補って余りあるお互いの顔が見える人たちとの強い絆の中で暮らしていたら、きっと心穏やかで幸せな暮らしが営めるのではないでしょうか。
与論島に移住した男性と話をした時のことを思い出しました。島に移住した理由を彼は「小さな島がよかったんです」と語っていました。当時の私は、その意味がわかりませんでした。なぜ小さな島が良いのか?人間関係が煩わしくないのか?そう思ったものです。
しかし「小さなコミュニティ」の良さを少しでも体験した今では、なんとなくわかります。何かあればすぐに噂になるが、それがいいのだと彼は言います。きっと、みんなが知り合いだから、安心で心地よい場所なのでしょう。
顔は知っていてもほとんど話したことのない人たちに囲まれたマンション暮らしの私は、この小さなコミュニティを今もとてもうらやましく懐かしく思い出します。